滴りや滝に涼を求めて。
Naoyaです。
今日は二十四節気の12番目、大暑(たいしょ)です。暑さがピークを迎える時期と言われていて、二十四節気はここで前半が終了です。大暑は十二星座の獅子座の始まり。火の星座の季節が到来です。
いやぁ、それにしても毎日異常なくらい暑いです。関東は例年よりも早く梅雨明けが発表され、大暑を迎える前からすでに暑さのピークが連日続いています。子どもの頃の夏って、こんな暑さじゃなかったと思うんですけどね。紫外線も強くなっているみたいで、すぐに肌が黒くなってしまいます。
先日の豪雨で被災されている方にとっては大変厳しい暑さかと思いますが、一刻も早く、平穏な日常の生活を取り戻せますよう心よりお祈りいたします。
大暑ということで、向日葵のヴィジュアルをいろいろと選んでいたのですが、暑さが和らぐ涼しいヴィジュアルと話題にすることにしました。
「涼を求める」とか「避暑」という言葉は「暑さ対策」という言葉よりも、僕は風情や味わい深さを感じます。単純にエアコンを使った涼しさとはまた違った風流なニュアンス。
打ち水や風鈴など、昔から日本人は日常において、夏の暑さをしのぐための工夫に長けていました。
特に打ち水は見た目だけでなく、水を打つ音を耳で感じ、焼けた土や石畳から蒸発する水の独特の匂いを鼻や口で感じ、体感温度が下がる感覚を肌で感じるので、五感すべてで涼を感じることができます。
涼を求めることも避暑も、いろんな意味で余裕がないとできないものだと最近思っています。心の余裕や精神的な余裕、時間の余裕、そしてさまざまな物理的余裕。
「打ち水くらいじゃ涼しくなるわけがない」
「避暑のために出かける時間なんてないし、お金もない」
そんな辛辣な意見すら飛び出し兼ねない、今の世の中の流れ。余裕のなさが暑さに拍車をかけてしまうようにも感じます。暑い季節をバランスよく乗り越えるためには、さまざまな余裕やゆとりが必要なのではないでしょうか。
それはさておき。
俳句の本を見ていたら、滴り(したたり)や滝という言葉が夏の季語だということを目にしました。滴りとは、山の日陰の岩や苔を細く糸のように伝って落ちている水のことを言います。
東京都世田谷区の等々力に、等々力渓谷という23区内で唯一の渓谷があるのですが、都心にいるのを忘れてしまうほど静かな場所。東急大井町線の等々力駅から歩くとすぐに出現します。
等々力渓谷では30箇所を超える場所で湧水が確認されていますが、そこに等々力不動尊発祥の元になった不動の滝があります。滝という名前がついているものの落差は大きくなくて、苔の生えた岩肌の滝口から糸のように細い湧き水が途絶えることなく流れています。
どちらかというと滴り寄りな水量や規模感ですが、でもそれが滝と呼ばれていることに深い意味を感じます。滝の水音が轟いて、等々力という地名になったという説もあるらしいです。ちなみにこの滝は現在も、修行として滝行に用いられているそうです。
熊野に行くと、滝がいろんなところにあります。雨が降った後、普段は何もない場所に名前もない滝が出現しているなんていうことも多々。熊野で僕が大好きな滝は、玉置山の麓にある猫又の滝、大馬神社の境内奥にある禊の滝、十津川村の車道沿いにある十二滝、そして有名な那智の滝です。
那智の滝は毎秒約1トンもの水が高さ133mのところから流れていて、滝壷は10mという日本一落差のある滝。落ちる水をずっと眺めていると、まるで滝壷めがけて何頭もの龍たちが飛び込んでいるように見えてきます。とても不思議な感覚です。滝(瀧)という字は、どうして氵(さんずい)に竜(龍)と書くのかは、那智の滝の落水を見ていると納得できます。
アイスランドは滝が多い国ですが、Instagramでアイスランドの滝をチェックしていると、かなりのスケール感のものが多くて興味津々です。日本の滝ともまたひと味違う印象があります。
日本では御神体として祀られている滝もありますが、アイスランドではそういう意味づけで滝を捉えないのかと思っていたら、ゴーザフォス Goðafoss というアイスランド語で「神々の滝」という意味を持つ滝もあるのだそう。荘厳な滝はやはり、神が宿っている印象を人に与えるのでしょう。アイスランドの滝巡りは僕の夢のひとつです。
まだまだ暑さは続きそうですが、無理をせずに過ごしてください。心身がダウンしないようにちょっと頭を休めて、生活に少し余裕やゆとりを持たせるといいと思います。涼を求めて滝やせせらぎのある自然に囲まれた場所へ、出向いてみるのもいいかもしれません。
0コメント