清々しさと物憂さの交差点で。
Naoyaです。
今日は二十四節気の5番目、清明です。その字の通りに清々しく明るさに満ち溢れたときとされています。初夏を思わせる陽気の日も増えてきて、春たけなわです。
「森羅万象の聲」のトップ画面の写真の並びを見てみると、スタートした頃の昏めのトーンの写真から、どんどん明るく光に満ちた写真へと移り変わってきている遍歴がわかります。
ちなみに晴明神社や安倍晴明を「清明」と間違える人もいますが、あちらの「せいめい」は「清明」ではなく「晴明」です。
毎年、このくらいの時期に東京の桜はピークを迎えて散り始めますが、今年は開花も満開へのスピードも早かったせいで、もうほとんど散って葉桜になりつつあります。今年は雨が降っていないので花びらがすべて風で散っていて、とても美しい桜吹雪を目にすることも多いです。
宛もなく待ちわびていた桜もピークを超えて、名残り惜しむ時期も過ぎて、次の季節へと移り変わっていることを感じます。
うちの近所には椿の木がたくさんあって、目にも鮮やかな真紅の大きな花をいくつも咲かせています。はらはらと花びら一枚一枚が舞い落ちる桜の散り方とは違い、椿は花ごと落下します。その佇まいも色彩も、そして散り方も桜とは正反対の存在感。ひとつひとつ潔く落ちる椿の花たちも、行く春を感じさせています。
この時期は毎朝、参拝で訪れる神社の境内で「清明」を体感しています。息を吸い込むと、口の奥に広がる空気の匂いや味わいに「清々しさ」を感じ、目に飛び込んでくる眩しい陽射しや強くなりつつある紫外線を肌で受け止めて「明るさ」を感じるのです。
清々しくて明るい…とは言うものの、国民病のような花粉症に悩まされている人は多く、空気も薄っすらと霞んでいる(黄砂の影響?)ので、あまりスッキリとしないのも事実。
真冬のパキッと澄み切った空気や雲ひとつない抜けた青空と比べたら、どことなくモヤッとしたものを感じます。おまけに寒暖の差も一年で一番大きくなりがちなので、体がそれについていかなくて体調を崩しやすくなるでしょう。
毎年同じように訪れるバランスを崩しやすいシーズン。免疫力をアップして万全の対策をしつつ、バランスを取って乗り越えるしかありません。
今の時期、新しい環境に変わったという人も多いと思います。新しい職場、新しい部署。僕の周りにも会社を辞めた人、引越しをする人、それから、出産した人、長年のパートナーと入籍した人…など、生活が一変した人がかなり多いです。
新しい職場や新しい部署に数日身を置いてみて、すでに挫折しそうになったり、心のバランスを保つのが難しくなっている人もいるかもしれません。「こんなはずじゃなかった」「思っていたのと違った」「自分に務まるんだろうか」など、期待なのか不安なのかすらわからなくなりそうな、いろんな気持ちが渦巻いている人もいると思います。
でも、今自分の身に起きていることは自ら選択したもの。自分の選択をしっかり信じてください。不安定な気候だからこそ、心身のバランスも崩しやすくなっています。
アンバランスな気候や心の動きを体験するからこそ、自分にとってのバランスが取れた状態はどういうものなのか、バランスを取るために何をすべきなのか、何が必要なのかが学べるときと捉えながら気負わず前に進んでください。
清々しく明るさに満ちた一方で、どこか物憂い空気感が薄いヴェールのように包み込んでいるよう。そのふたつが交差する季節が春なのです。
「物憂い(ものうい)」とは、何となく憂鬱で心が晴れ晴れしないという意味。僕が小学生の頃、国語の教科書で目にして、声に出して読んで覚えた言葉です。何かの読み物の中に登場して、春の情景の表現に使われていたと記憶しています。
物憂いという言葉は、春のモヤッとした空気感や心身のアンバランスさを表すのに、とてもふさわしいと思うのです。
清々しくて明るい面。不安定で物憂い面。このふたつがクロスオーヴァーした時期を乗り越えた先には、新緑が鮮やかで爽やかな風が吹き抜ける季節がやってきます。
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