人生に、春。
Naoyaです。
日没の時間がちょっとずつ遅くなってきていて、寒い中にもふと春の匂いや気配を感じることや、空気の粒子の肌触りもまろやかになってきたと感じることが増えてきています。
今日は立春、二十四節気の最初の節気です。暦の上では春です。季節の新しいサイクル、新しい一年がここからまた新たに始まります。2023年の立春の時刻は5:51です。
立春の前日の昨日は節分でしたが、厄年の節目となるのは節分です。厄年が終わった人はお疲れさまでした。厄年に突入した人はどうぞご安全に。
僕は40歳の厄年の3年間は忘れることができないほど、とても濃密なものでした。前厄ではリストラでいろんなものが徐々に崩壊し、本厄では挫折と絶望と確認作業を嫌というほど繰り返し、後厄では再構築していくという、まるで人生のリニューアルがパッケージングされたかのような3年間でした。自分自身がとてつもなく洗浄され、人生の価値観を総取り替えする流れという感じでしょうか。厄年の3年間と土星天秤座期の3年間がほぼ重なっていたこともあり、とてつもなくヘヴィな日々でしたが、あの洗礼があってこそ今の自分があると思っています。
「そんな大変な状況から、どうやって復活できたの?」
人からそれをよく聞かれるのですが、出口も光も見えない毎日の中で逃げることなく投げ出すこともなく、とにかく目の前のやるべきことをひたすらやっていただけでした。この辛い日々は自分にとって何の意味があるのか…みたいな、自問自答や想像を巡らすこともありませんでした。変な意味づけに救いを求めても仕方がないですし、目の前にあることを現実的に着々と片づけた方が有意義だからです。
とにかくいろんなことがありましたが、あまり細かく出来事を記しても文字数が嵩むだけなので、詳細は割愛しますが、求人情報をチェックしたり、履歴書や職務経歴書を書いたり、ヨガに行ったり、あるいは本を読んだりみたいな感じで、直接の仕事に繋がらないことであっても、やるべきことだと思ったらやる。あるいは転職が決まったときはその会社で、仕事をきちんとこなしていました。そんな中、本厄の後半でマナカードに巡り会い、後厄へとなだれ込んでいきました。そこからさらにいろんな変化を積み重ねて、現在に至るという感じです。
厄年の中で唯一、健康であったことだけが救いでした。どんなに苦しくて大変なことがあったとしても、健康であれば何でもできると思います。今思うとあのときは、健康な身ひとつでサヴァイヴして、自身を大胆にリニューアルしなさいと挑戦状を突きつけられたのかもしれません。今の自分が眺めている風景や大切にしている価値観は、厄年前のものとはまったく違っています。ガラッと変わってしまいました。変わらざるを得ない流れだったからです。
厄年だけでなく、今のコロナ禍で大変な状況という人もたくさんいるかと思います。大変な状況の真っ只中だと、やるべき課題をこなすことだけに夢中でしょうが、もしかしたらそれは人生のリニューアルのタイミングなのかもしれません。逃げ出さず投げ出さず、やれるところまで精いっぱいやってみてください。ふとある日、人生に春がやって来るでしょう。
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