嗅覚でバランスを取る。
Naoyaです。
今日は二十四節気の13番目、立秋です。暦の上では秋になり、二十四節気は後半へと突入しました。
つい先日、やっと梅雨明けしたのにもう秋だなんて。まだまだ暑さはこれからという感じなので、旧暦に置き換えた方が季節感はしっくり来ます。
状況が状況なので、外出するときは必ずマスクをしています。僕が使っているマスクは息苦しくないものの、匂いがまったくわからないほど外の世界から遮断されます。顔に変な日焼け跡がつくのを避けて、周りに人がいない屋外を歩くときは、マスクをずらしたり外したりしていますが、マスクを外した途端、外の世界の匂いが流れ出します。
深呼吸してみると、ちょっと湿度を含んだ独特な日本の夏の匂い。
そうそう。本来の夏って、こういう匂いだったよね…みたいな感じ。マスクによって遮断されている夏が解かれる瞬間が嬉しいです。
最近マスクをしていて気づいたのが、自分は嗅覚でもかなりバランスを取っていたんだなということ。視覚や聴覚の部分で情報を拾い上げながら、バランスを取ってはいるものの、それと同等かそれ以上に、嗅覚でもバランスを取っていたことを痛感しました。
ここは安心できる場所なのか?
それとも、危険な場所のか?
今、自分のいる場所はどこなのか?
一緒にいるこの人は、敵なのか味方なのか?
動物的に嗅覚を駆使して情報収集しつつ、そういった無意識の自問自答を瞬時にしながら、自分がいる場所でのバランスを取る感じです。帰宅して自分の部屋でマスクを外すと、エッセンシャルオイルの微かな残り香がしますが、自分の安心できる巣に戻れたことを実感します。
今、近所を歩きながらマスクを外すと、いろんな夏の匂いに気づきます。太陽の強い陽射しの匂い。その陽射しで照らされて、生い茂った夏草からムワッと立ち上る湿った緑の匂い。それから、木々の枝葉を撫でる風の匂い。夜は夜で、近隣一帯の森林が静かに深呼吸している匂いがします。同じ場所なのに昼とは違う匂いです。
先日用事があって、横須賀に行ってきました。京浜急行の電車を降りて、駅前のロータリーを歩きつつマスクをずらしてみたら、海の匂いが微かに漂ってました。いかにも海沿いの街の匂い。家の近所とも、京都とも違った街の匂いです。マスクをしていると、そういう当たり前の嗅覚が遮断されてしまいます。それぞれの街のヴィジュアル、音、肌で感じる空気感、それから匂いのすべてが組み合わさって、自分はバランスを取っているんだと痛感しました。
その海沿いの街で用事を済ませた後、思いつきでバスに飛び乗り、海を見てきました。写真はその海です。バスを降りてマスクを外し、砂地を歩きました。照り返す陽射し、焼けた砂、潮風。それぞれが混じり合った砂浜の匂いを胸にいっぱい吸い込んだら、バランスが回復しました。
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