夏渡し。
Naoyaです。
今日は二十四節気の7番目、立夏。暖かい日もちょっとずつ増えていますが、まだ肌寒く感じる日も多い気がします。5月1日の八十八夜を経て、いよいよ暦の上ではここから夏です。八十八夜とは立春から数えて88日目のことを示し、八十八夜の頃から霜が降りなくなると言われて、不安定な春の気候もここで終わって夏になっていきます。
例年のこの時期と比べると、何だか肌寒いなぁと思っていましたが、昨年の同じ時期を思い返してみると、やはり肌寒さを感じることが多かったです。ただの勝手な思い込み。ちょっとしたことをマイナス方向に捉えてしまうのは、どこかスッキリと晴れない状況が続いているせいかもしれません。
とは言うものの、薄手の掛け布団にしたり、ユーカリプタスにペパーミントをブレンドしてディフューズしたり、自分の生活の中で夏めいた要素がちょっとずつ増えてはいます。少しずつ移ろいながら自分の元へとやって来た夏を、自らの手で次へと受け渡していくバトンや手綱のような感じです。
ゴールデンウィークの真っ只中ですが、おとなしく家で過ごしている人も多いかと思います。
ここ何年もの間の僕は、ゴールデンウィークを静かに過ごし、明けたと同時に京都へ行くというルーティンが続いてました。2016年からは熊野古道を巡る旅の後、京都に滞在するといという流れに。昨年は熊野を休んだものの、今年は2年ぶりに行けるかと思ったのですが、この状況なのでもちろん行きません。今までの写真を見たり、自分が書いた熊野のブログを読んだり、あるいはGoogleマップで行った場所を検索して、ストリートビューで眺めたりして、過去の熊野の記憶を旅して楽しんでいます。
これまで4回、熊野へ旅をしてきましたが、今考えると、どんどん詰め込むことや吸収することに必死だったようで、ひとつひとつをしっかりと丁寧に消化できてない部分もあったように思えます。だからこそ今のような時間は、回想しながら自分の中へ落とし込むには最適だと思っています。次の旅を練るための準備期間でもあります。
2017年の秋に「熊野のいざない セレンディピティが連鎖して叶う旅と人生」というトークイヴェントをやったのですが、その後、また熊野を訪れて、さらに新しい発見もありました。そんなことを交えて、また誰かに熊野の話をシェアできたらいいなと考えているところです。
ちなみに今回のタイトルは、大江千里さんの1987年の曲「夏渡し」から。どことなく混沌としてスッキリとしないまま、だけど夏が巡って来たことを感じたとき、ふと思い出しました。
ひんやりと淡々と始まるイントロは、まさに今年の夏の始まりの空気感。1コーラス目のサビの締め括りはこんなフレーズでした。
この国に夏がくる
変わらずの夏がくる
この曲がふと過ぎったのはただの夏の歌だからではなく、政治的なことを散りばめつつ、感傷的な日常を描いた歌だから。夏の始まりで今の状況に、どこかシンクロしている部分があるんです。2コーラス目のサビは、こんなフレーズで締め括ります。
この国は何処へ行く
変わらずに進んで行く
ちなみにこの曲が収録されているアルバムは「OLYMPIC」というタイトルです。意味深なシンクロ。
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