儚さを生きてこそ永遠に触れる。

Naoyaです。

今日は二十四節気の15番目、白露(はくろ)です。白露とは、夜の間に大気中の水蒸気が冷却されて、朝、草や葉に白い露が結ぶことから名づけられたと言われています。

露が「結ぶ」という言い方、とても日本的な風情がありますね。露は他にも「置く」「消ゆ」「散る」「乱る」といったいろんな動詞を伴って、多彩な表現に用いられます。

陽が射してくると徐々に蒸発して消えてなくなり、揺れてしまえば一瞬にして落ちてなくなる。露は儚い存在です。朝露が輝く風景は、ほんの束の間。まだ誰も触れていない朝にしか出会えないものです。

そろそろ野には薄(すすき)の穂が姿を現して、空は高くなっていき、日中はまだ暑い日もありますが、朝夕は涼しさを通り越して肌寒さを感じるときもあるでしょう。うちの近所は森に隣接しているせいもあり、夜、窓を開けると虫の声の大合唱が微かに聞こえてきます。あぁ、秋だなぁと実感するひとときです。

二十四節気には、雪や雨、露、霜という名称が使われていることや、二十四節気には登場しないものの、夏は湿度がとても高いので、日本の四季は寒暖を問わず、水とのゆかりが深いことがうかがえるかと思います。今の時期は台風のシーズンです。今年は例年よりも台風が多く、豪雨による被害が出ているエリアもあります。水は生命を支えて育むものですが、その反面、人の命を脅かす側面もあることを改めて痛感しています。被害に遭われた方々は、1日も早く復旧できますよう心よりお祈り申し上げます。

明日9月9日は、重陽(ちょうよう)の節句です。

現代ではあまり馴染みがありませんが、旧暦時代に中国から伝わった五節句があって、重陽の節句はそのひとつ。他は1月7日の人日(じんじつ)の節句、3月3日の上巳(じょうし)の節句、つまり桃の節句の雛祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句です。一番大きな陽数(ようすう)である9が重なる日を重陽の節句と定めて、不老長寿や繁栄を願う行事とされていました。

重陽の節句は別名、菊の節句。菊は薬草としても使われていて、延寿の力を持つものとされていたため、厄祓いや長寿祈願に用いられていたそうです。これからの時期、菊のコンクールが開催される地区もたくさんあると思いますが、育てた菊を持ち寄って優劣を競う「菊合わせ」という風習が元になっているのだとか。近所の神社でも、毎秋必ず立派な菊が披露される催しが開かれています。

かつて重陽の節句では、菊の花びらを浮かべたお酒や菊を漬け込んだ「菊酒」を呑んだり、菊を詰めた枕で眠り、菊の香りで邪気を祓う「菊枕」などがあったそうです。

重陽の節句では、前の日に菊の花に綿を被せておき、翌朝、菊の露や香りを含んだ綿で身体を清めると長生きできるとされる「被せ綿(きせわた)」という風習もあったそうです。ここでも露が登場するのですが、露は儚いものの象徴である反面、不老長寿や極楽往生の喩えとしても使われているのが興味深いです。

諸行無常。この世のすべての物事は同じ形を留めず、常に変化し続けていきますが、変化は表面的な部分で起きていることであって、もっと奥深いところには不変なものが存在すると思っています。

変わりゆく儚い世界を懸命に生きていればこそ、永遠とはいかなるものなのかに触れることができる扉が、ある日、目の前で開きます。つい先日、とある私的な出来事を通じて、僕のその扉が開いたところでした。僕の中では、儚さと永遠は背中合わせというか、同質なものに感じるのです。

…なんて、ふと思った秋の夜。

森羅万象の聲 The Voice of The Universe

宇宙詠みのMaribrengaëlとスピリチュアルカウンセラーのNaoyaの共同運営による情報発信のメディア。惑星の動きや配置、星座、移ろう季節の空気感。ここではそういったつかみどころがなくて見過ごしがちな、だけどとても大切なことを、読みものや現実的に役立つ情報として発信していきます。