告白。

Naoyaです。

今日は二十四節気の15番目、白露です。白露とは、夜の間に大気中の水蒸気が冷却されて、朝、草や葉に白い露を結ぶことから名づけられたと言われています。暑さが和らいだことを感じる瞬間もだんだん増えてきました。

先日、シャルロット・ゲンスブールが監督を務めて、母親のジェーン・バーキンを撮影したドキュメンタリー「ジェーンとシャルロット」を観てきました。

これまでのことや自分がいなくなってからのこれからのことを、ジェーンは包み隠さず語り、シャルロットも素直に思いを吐露するのですが、まるでジェーンの終活を匂わせるような人生の回想録でした。

自死で亡くなった長女ケイトのこと、16歳から続いている不眠症のことや病気のこと、これまでのパートナーたちのことなどをジェーンが語るのですが、意外と重めで生々しくて赤裸々。これは絶対にシャルロットだからこそ引き出せた部分が大きいと思います。そして、この映画が日本公開される直前でジェーンが亡くなったことにより、より終活的な意味合いが強まった作品だと思います。

シャルロットは今作で監督デビューということですが、映画を口実にしてジェーンとの対話をするのが目的だからこそ、必然的に監督になっただけなんだろうと思います。ジェーンもシャルロットも互いにしっかりと向き合って、すべてを告白し合うことで、浄化や解放、あるいはヒーリングというプロセスを歩んでいるかのようでした。

最近、Netflixで星野源とオードリー若林の対談番組「LIGHTHOUSE」を観たのですが、かなり刺さりまくって最高でした。闇属性のふたりがいろんなシチュエーションで自分が抱えている思いを吐露しながら、恐らくテレビでは話すことのないような、ここでしか言えないような話を赤裸々に告白し合うのですが、回を重ねるごとにオープンでディープになっていき、ジェーンとシャルロットと同じような感じで、彼らにとっての浄化や解放、ヒーリングの場になっていることを感じました。

胸の中に秘めていたことをアウティングすること、誰にも言えないことを声に出して告白することって、浄化であり解放であり、ヒーリングなんだなと改めて痛感しています。もちろん、告白する相手は誰でもいいわけではなく、きちんと耳を傾けて受け止めてくれる理解者であることは大前提です。そして、そこに信頼は不可欠です。

人に話をしていると、自分の中で循環が起こります。循環しながら頭の中が整理整頓されて、自分の中に答えが浮かび上がってきたり、余計なものが削ぎ落とされたりして、相手が特に何も言わなくてただそこで聞いてくれているだけでも、浄化や解放のようなプロセスになるのです。それが単なる一方通行の告白ではなく、相互が告白し合う対話になっていると、循環はより大きなものとなって、浄化や解放の作用がさらに強まると思うんです。告白する側・される側での立場に上下をつけるのでもなく、告白する側が弱者という受け止め方でもなく、同じ目線や立場で告白し合う対話こそが浄化と解放、ヒーリングに繋がっていくのです。

ジェーンとシャルロット、星野源と若林がやり取りを重ねていくほどに、観ているこちらも浄化され、解放されていくような感覚に陥りました。彼らのやり取りを見て聞いているだけでも、モヤッと胸の中に存在する霧のようなものがスーッと晴れていくようでした。

僕自身も自分が抱えているものを誰かに告白することがありますが、やはり声に出して目の前にいる人物にする告白は、文章で綴る告白とは別物だと思うんです。声に出す告白って、特に今の時代においてはとても大切だし必要なものだと僕は思います。

ジェーンとシャルロット、星野源と若林の対話を通じて改めて感じたことは、ひとりで抱えている痛みや苦みを理解者とシェアできたとき、治癒になっていくんだということです。

森羅万象の聲 The Voice of The Universe

宇宙詠みのMaribrengaëlとスピリチュアルカウンセラーのNaoyaの共同運営による情報発信のメディア。惑星の動きや配置、星座、移ろう季節の空気感。ここではそういったつかみどころがなくて見過ごしがちな、だけどとても大切なことを、読みものや現実的に役立つ情報として発信していきます。