柔らかなピリオド。
Naoyaです。
今日は二十四節気の14番目、処暑です。そして、今日から乙女座のシーズンへ突入となりました。処暑の処という字は「留まる、止まる」という意味で、ようやく暑さが和らいで収まってくる頃というのが処暑です。
いつまでも落ちない夏の長い夕暮れも、夏至を境に少しずつ短くなってきています。日本人特有の夏の終わりの寂しさは、子どもの頃に散々味わった夏休みの終わりのあの寂しさや名残り惜しさが、大人になってもそのまま踏襲されているようにも思えます。
先日、うちの近くの国道沿いにあるコーヒーショップへ、読書をするために自転車で出かけたときのことでした。コーヒーショップへは丘を越えて行かなくてはならないので、丘のてっぺん近くまでの上り坂で自転車を押していました。
午後3時過ぎだったので、陽射しはまだ強くて汗ばんできていたものの、風はどこか涼しさを感じさせていました。帰りの日没寸前の時間帯はさらに暑さが和らいで、空には秋らしい雲が浮かんでいました。
立秋の頃はまだ夏からバトンタッチしたばかりで、まるで行く夏からの餞(はなむけ)のような夏めいた暑さが残っていました。立秋過ぎてもまだ残る暑さのことを「餞暑(せんしょ)」というそうですが、その暑さもお盆を終わりを迎える頃には、だいぶ和らいで過ごしやすくなってきています。
そんな陽射しと涼しげな風の中で自転車を漕いでいたら、昔、屋外プールに通いまくっていた夏のことが不意に過ぎりました。
若い頃の僕はプールに通って泳ぎまくっていたのですが、夏の週末は朝っぱらから午後の陽射しが翳り始める時間帯まで、ずっと屋外のプールで過ごしていました。
プール開きの頃はまだ水が透明で冷たくて、陽射しも初々しくてエッジが立った感じ。夏らしさもまだぎこちないですが、夏のピークの頃には陽射しがすっかり円熟して強くなって、プールの水も陽射しの強さや多くなってきた人手のせいでだいぶ温んでいます。プールサイドはかなり熱くなっていて、素足で歩くのが大変です。
僕はプールサイドに場所を取り、横になって日焼けをしつつ、熱くなるとしばらく泳いで、そしてまた日焼けをして、泳いで…を繰り返していました。強い紫外線を長時間浴びて過ごすなんて、今じゃ恐ろしくて絶対にできません。
8月も半ばに差し掛かり、ちょうど今ぐらいのお盆を過ぎたシーズンになってくると、プールサイドに吹く風が、時折涼しくて肌寒く感じるようになってきます。
眩しい陽射しを浴びながら、ふと吹いてくる風に肌寒さを感じるとき。ちょっと大きめのバスタオルを肩から纏って体を包んでプールの方に目をやってみると、どこからともなく現れたトンボが水面を掠めながら飛んでいきます。それを目にすると、屋外プールのシーズンも終わりなんだなぁと感じるのです。
散々熱っぽかった夏に、ピリオドがふわっと柔らかく打たれるような瞬間です。
若い頃は二十四節気のことなど、さほど意識していませんでしたが、思い返してみると初夏の頃から晩夏の頃まで、夏という季節の微細な移ろいをプールサイドで、肌や目、匂いや音で毎年感じていたわけです。それは感覚的で、ちょっと動物っぽくもあります。
今年の夏は暑さがかなり厳し過ぎて、夏を楽しむ余裕がなかったという人もいるかもしれません。これからの時期、まだ暑さがぶり返す日もありそうですが、季節はどんどん秋へと向かってだいぶ過ごしやすくなっていくと思います。ぜひ、感傷的な夏の終わりと深まっていく秋とのグラデーションを味わってみてください。
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