"Can you hear me?"
Naoyaです。
"Can you hear me?"
最近、季節が移ろうタイミングで、そんな問いかけをされるかのようです。もちろん、危ない空想じゃありません。
今日は二十四節気の13番目、立秋です。暦の上では秋。二十四節気は後半へと突入しました。
まだまだ暑くて、秋なんて呼べる気候じゃありません。昔の季節の感覚とか侘び寂びのようなものがどんどんなくなっていて、ただただ暑いだけとか、雨がひたすら大量に降っているだけとか、そんな気候ばかりのような気がします。集中豪雨に見舞われる地区も、最近増えている気がします。被害が少ないことを祈りながら、見守るしかありません。この頃「線状降水帯」なんて言葉が頻繁に使われていますが、この言葉が使われるようになったのは、2014年8月の広島市の土砂災害以降なのだそうです。比較的新しい言葉だからこそ、若い頃には聞いたことなんてありません。季節の感覚が昔とは明らかに違ってきているのを自分の肌感で感じていましたが、こういった新しい言葉が生まれているのを目の当たりにすると、気候や季節感というものが実際に変化しているんだなぁと実感します。
でも、基本的な四季の移ろいがあることは変わりません。例えて言うならば、四季というキャンバスは変わらずに存在していて、描かれるものや描く手法、あるいは画材が変わってきている感じがするのです。
で、さっきの声。
"Can you hear me?"
これは四季のキャンバスを管理している神さまからの「季節の移ろいをちゃんと感じられていますか?」という問いかけのようなものです。季節の秒針のようなものがちょっとずつ動いている音。どんなに描く手法が変わったとしても、ちゃんとそういった季節の土台の部分は残っていて、ちゃんとそれを感じ取ることができているかと、自問自答するようなものでもあります。その季節の花は咲き、散り、そしてまた次の季節の花が咲くという自然の営みは、我々人間の意思とは関係なく巡っていきます。多少の誤差やズレ、通年との違いのようなものが生じることもあるでしょうが、四季は然るべきタイミングで順々に巡っています。これだけ異常気象のようなものが多発してくると、思わず何かしらの不安な意味づけをしたくなるのが人間ですが、実は、大いなる意思の下で巡っている季節には関係のないことなのでしょう。
頭であれこれ考えずに、今、目の前に巡ってきている季節を味わってみてください。そこから自分が何をどう感じるのか、自分の感覚を研ぎ澄ましてみてください。少しずつ空の色や空気の感触が秋へと変化していくのがわかるはずです。
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