負のボルテックス。
Naoyaです。
最近、雨が多いなぁと思っています。雨が降ってないにしても曇っていて、空が低く感じることもあります。冬の乾燥した空気と違い、微かにしっとりとした空気は、肌寒く感じながらもどこか優しい感触。
今日は二十四節気の6番目、穀雨です。穀雨には「雨が降って百穀を潤す」という意味があり、稲を初めとしたさまざまな穀物の成長を促す雨が降ると言われる時期です。穀雨は春の最後の節気となり次は立夏で、暦の上では夏になります。
穀雨は十二星座の牡牛座の始まりでもあります。土の星座牡牛座ということもあり、大地を潤して豊かさをもたらす恵みの雨が降るイメージ。雨って、降る時期や時間帯、あるいは状況やタイミングによってまったく印象が変わるのです。雨が嫌なもの、雨を嫌う人も結構いるかと思いますが、僕は元々雨に対して嫌悪がないので、今この時期に降る雨をとても心地よく感じます。
「嫌う」「避ける」という嫌いな物事に対する能動的な姿勢は、抵抗を生みやすいと思っています。
「嫌う」というのは「嫌い」とは違います。「嫌う」というのは意識的なアクションであって、無意識に湧き上がる「嫌い」という感覚や思いとは違うからです。嫌いな物事があるのは決して悪いことではありません。嫌いなら嫌いで、それ以上「嫌い」という思いを突き詰める必要も、なぜ嫌いなのかの理由を探る必要もないですし、無理に好きになろうと努力する必要もありません。
意図的に「嫌う」というアクションをすると、そこに抵抗やしこりが生じてスムーズな流れを遮るし、かなりのエネルギーを消費することになります。たとえば、自分が好きな物事の話題を話したとき、相手が即答で「あ、それ大嫌い!」と言われると、そこで会話や場の流れが止まってしまいます。さらに相手がなぜそれを嫌いなのか、どのくらい嫌いなのかをつらつらと一方的に語り出したら、そこに大きな負のボルテックスや負のエネルギーが渦巻くパワースポットが生じるように思います。こういうときに語られる側としては、何も手の施しようがないくらい辛い状況です。
嫌いな物事を執拗に避けることも、「嫌う」というアクションそのものです。スムーズな流れを遮ります。嫌いなものは見ない、触れない、関わらない。うまくスルーしておく。たまにTwitterで、自分の嫌いな物事や人物の悪口や文句をつぶやいている人を目の当たりにしますが、たとえ匿名のアカウントだとしても、それはやめておいた方が賢明です。そういった「嫌う」というアクションによって、せっかくいい流れが自分の近くへとやってきても、そこで堰き止めてしまうからです。
たとえ嫌悪感を覚えたものであっても、嫌いな物事に出くわしたとしても、「嫌う」というアクションでそこに熱を注がないこと。自分の好きなものをしっかりと愛して、嫌いなものは穏やかに流しておきましょう。これも宇宙の流れやバランスを整える一環です。
相変わらず外の世界は大小を問わず、負のボルテックスのような出来事が絶え間なく渦巻いています。だからこそ、自分の中にはそういうものを巻き起こさないようにしておきたいところです。
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