旅は続いている。
Naoyaです。
今日は二十四節気の18番目、霜降(そうこう)です。稲を刈り取った田んぼに初霜が降りる時期という意味です。そして、今日から蠍座のシーズンになります。朝晩、とても寒くなってきました。
ちょうど一週間前、神奈川の伊勢原にある大山へ登山してきました。大山阿夫利神社です。晴れていると山頂からは、相模湾が一望できます。
今回の登山はなんと2年半ぶりくらい。ここ最近は毎年、熊野古道に行くのがお決まりとなっていましたが、昨年は体のメンテナンスのために行かず、今年は新型コロナウィルスの影響でやめていました。でも、そろそろ山に行きたいと思い、誕生日の日に行ってきました。
大山の山道はなかなか険しいのですが、山からしばらく遠ざかり鈍った体にはさらに厳しく感じました。山を歩く感覚を忘れてしまっていたので、最初は戸惑いながら歩いていたのですが、しばらくすると感覚を思い出してきて、やっと自分のペースが掴めるようになりました。
ここ最近はどこにも行けず、熊野を中心とした自分の旅がまるで終わったかのように思えていたのですが、大山の山中を歩き続けていたら、自分の旅はまだずっと続いていることを実感しました。2015年の秋、京都の清明神社の宮司さんから、熊野に行くようにとお告げをいただいて始まった旅でしたが、そのきっかけは2013年の秋に訪れた、京都から続いているものでした。中学の修学旅行以来、久しぶりに訪れた京都でしたが、偶然にも安倍晴明の命日であることを後々知りました。もしかしたら、必然の流れだったのかもしれません。
大山は初の熊野帰りに京都に滞在した際、熊野の旅のご報告した清明神社の宮司さんから、神奈川に住んでいるなら大山に行きなさいと言われたことがきっかけでした。そんなことを思い出したとき、僕の旅はすべて繋がって、連鎖しているように思えました。だからこそ、終わることなく続いている旅。これまでもこれからも続く旅なんだなぁ、と。
大山の木々の中、肌寒い風が吹いてきました。立ち止まって深く呼吸してみると、秋の風というよりも冬の風という感じ。晩秋から初冬へのグラデーションの境目を縁取るように歩いているかのようでした。
山道では、カップルやグループをチラホラ見かけていましたが、頂上から下山していく途中、まったく人がいなくなりました。熊が出没するエリアだった上に、まったく人気がない。陽射しがちょっと翳ってきて、気づくと薄暗い森の中。14時半過ぎなのに夕方のような空気感。少し怖さを感じました。森特有の怖さです。熊野の森でも感じたことのある懐かしい怖さ。自然の素晴らしさを体感しつつ、畏怖の念のようなものを忘れてはいけないと思いました。
2021年はトランジット感が強い年だと「宇宙詠みチャート」を制作しながら思っていましたが、自分自身もある種のトランジットを迎えているように思います。そんなタイミングで、2021年は熊野に呼ばれたらいいなと祈りつつ。旅は続きます。
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