素足の人魚。
Naoyaです。
今日は二十四節気の2番目、雨水(うすい)です。冬の間の凍てついた氷や雪が解けて流れ始める頃。閉ざされた季節から開かれた季節へと流動的に移り変わるとき。雨水の日に雛人形を飾ると、良縁に恵まれると言われています。
暖かくなって雪が雨へと変わっていく時期。解けた氷や雪は水となり、大地を潤します。大地が潤うことによって草木は芽吹き、動物たちも活動を始めます。水というものが、まさに生命を支える存在なんだなぁと意識させられます。
今日から魚座期が始まりました。牡羊座から始まった十二星座も魚座で終わりとなります。そしてまた次の牡羊座から、新たな十二星座のサイクルが始まります。魚座は水のエレメントの星座。つまり、二十四節気も十二星座も水にまつわるというわけです。
十二星座にはそれぞれに人間の身体の部位が割り振られていますが、魚座は足。魚には足がないのに足というのは興味深いです。一目惚れした人間界の王子に会いに行くために、声と引き換えに魔女から足を手に入れた「人魚姫」の童話を思い出しました。
昔、子どもの頃に読んだ「人魚姫」の絵本では、人魚姫が足を手に入れた直後の不慣れな二足歩行の様子が描かれていましたが、確か、針の上を歩くような痛さを我慢しながら…みたいな描写だった気がします。地上の人魚姫を心配した姉たちは、美しい髪と引き換えに人魚姫に会いに行くという描写もあったのですが、かなり乱雑に短く刈り取られたような髪型で描かれていました。
昔、読んでいた童話は、幻想的でロマンティックな部分とグロテスクでショッキングな部分が背中合わせで共存していて、それが子供心ながらのリアリティみたいなものになって、感性を育んでくれたように思えます。今の童話はグロテスクでショッキングな要素が排除されていて、可愛さを強調しているものが多いという話を聞いたことがありますが、僕にはその方がかえってグロテスクさを感じてしまいます。報われない恋の挙句に海へと身を投げて、海の泡となってしまうハッピーエンドじゃない物語の結末こそが、人魚姫だと思っています。
魚座は夢想的で、感情に敏感な星座と言われています。自分の感情はもちろん、他人の感情の動きに繊細に寄り添います。マナカードには感情を意味するナル(Nalu)という波のカードがありますが、まさに感情を揺れる波として表現したものです。僕の中での魚座は、揺れる感情の波間を柔軟にしなやかに泳いでいくようなイメージがあります。
空想と現実の境目がぼんやりと曖昧であることが多いと言われる魚座。そこまで感情に敏感ではないドライで杓子定規な性格の星座たちに囲まれた現実社会では、人魚姫が初めて陸を素足で歩いたときくらいに不安定で、ぎこちなさを感じることが多いかもしれません。水のようにスムーズな流れを遮られてしまい、傷つくこともあるかもしれません。逆に、現実的でドライな性格の人にとっての魚座はなかなか理解し難く、魚座との関係が課題やレッスンのようなものに思えることもあるかもしれません。
水の季節だからこそ、滞っているものをいかにスムーズに流動的にしていくかを考えてみるのもいいでしょう。潤滑なコミュニケーションを成立させるためには、自分の性格と相手の性格の傾向をつかんでおくのもいいかと思います。十二星座は、それを紐解くためのきっかけや目安として役立つものだと思っています。
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