生身のコミュニケーション。
Naoyaです。
今日は二十四節気の13番目、立秋です。暦の上では秋となり、二十四節気は後半へと突入です。まだ暑い日もありますが、どことなく空気に秋の気配を感じることがたまにあります。
TwitterがXに変わりました。まるで虚構新聞だとか狐につままれるかのような、なんだそれっていうくらい信じられない、冥王星水瓶座期っぽい展開です。でもまぁ変わったと言っても、ドメインだの何だのにTwitterの名残りがいろいろ見られるので、パッケージングが変わっただけで中身はさして変わった感じがしていません。
これまでいろんな業種で散々使い倒され、登録商標もされているであろうXという凡庸な名前や個性のないロゴのセンスには、落胆のようなものを感じています。かつて散々恩恵も受け取ってきたTwitterという場も、そろそろ終焉なのかもと思いながらも、特に離脱すべき決定的な理由がないので、様子を見ながらも以前と同じように使っています。
かつては限られた親しい知人とのコミュニケーションの場にしていたTwitterですが、今は自分の情報を発信することと映画や音楽などの情報を得ることが主な目的になっています。コミュニケーションをするのなら、やはり対面でするのが一番なので、話したい人とは直接会って話をしています。会えない場合は音声で話すこともあります。僕はそういう生身のコミュニケーションができる人との関係を大切にしたいと思っています。
Twitter上というか、SNS上だけで完結するコミュニケーションは僕にとって、ひと昔前のものという感じがしています。面識のある人ない人を問わず、Twitter上のみでコミュニケーションを完結させてしまうというのが、自分の最近のモードじゃない感じなのです。インターネットが普及して手軽にやり取りができるツールも次々登場した果てに、コロナ禍という特殊な時期を経た今、直接会ってするひと手間かけたコミュニケーションを重視する方へ回帰している自分がいます。僕は元々、LINEで文字のみで長文のやり取りをすることはほとんどありません。スマートフォンという形状で長文を書く、読むということに違和感があるからです。パソコンのメールなら大丈夫なのですが、つくづく自分はスマートフォンが好きではないんだと痛感しています。
TwitterがXになったことで、ざわざわしている人も多いようです。インスタのThreadsでアカウントをつくる人だとか、休眠させていた他のSNSを久しぶりに稼働させる人だとか、そんな世の中の動きを目にすることもチラホラありました。そんなにしてまで人と繋がりたい、コミュニケーションを取りたい人が多いんだなぁと痛感しているところです。あるいは、コミュニケーション以前に自分の居場所を守りたいというサヴァイヴする感覚なのかもしれません。
僕は繋がるべき人とはどんな形になっても繋がれると思っているので、特にSNSにまつわる新たなアクションは起こしてません。今の僕が親しくしている人を思い出してみると、ほとんどがSNSをやっていない人か、SNSをやっていても形式上繋がっているだけの人ばかり。みんな、会ってコミュニケーションをするのがメインです。手軽さに頼ったコミュニケーションをいくら重ねたとしても、深みのある関係は生まれにくいというのが僕の持論です。
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