解像度を落とす夏。
Naoyaです。
梅雨の真っ只中のはずが、雨が降らずに夏のような陽気の日が多いです。知人が気象関係の人から聞いた話によると、梅雨の期間における雨の総量は決まっていて、ちょっとずつ降れば雨の日がずっと長く続き、一気にどこかのタイミングで集中的に降ってしまえば、あとは晴れや曇りの日が多いんだとか。
今日は二十四節気の10番目、夏至です。夏のど真ん中の節気。そして、蟹座のシーズンへ突入です。夏至は北半球では日の出から日の入りまでが一年で一番長く、太陽は一番高く昇り、陽のエネルギーがもっとも高まる日です。今日を境にして、明日から冬至にかけて日の出から日の入りの時間は徐々に短くなっていきます。ちょっと寂しいです。
最近は自分の頭の中や身辺を、なるべくシンプルにしておくようにしています。以前からそういうことを心がけていましたが、この頃さらに意識しているのです。
前にも増して、騒がしさを世の中に対して感じる今日この頃。明らかに騒がしい場所や人物からは離れています。貪欲に情報や流行を摂取することもなく、すべての物事を白か黒で判別するでもなく、明確に答えを出そうとするのでもなく、あるいは、論破し合って勝ち誇るための熱い場に身を置くでもなく、わざと解像度を落としている自分がいます。
年齢のせいではありません。今でも解像度を上げれば、情報をバンバン摂取することも、白黒はっきりつけることも答えを明確に出すことも、論破するような話し合いをすることも自分にはできるのですが、今の時代の流れ的に、そういう生き方がマッチしないことを肌で感じているからです。なので、無自覚のうちに解像度を下げています。自分の中でもっともアップデートした処世術のようなものです。
騒がしい世の中に便乗すれば、いくらでも頭の中が賑やかに騒がしくなるでしょうし、現にそういう騒がしさを頭の中に抱えながら過ごしている人も多いと思います。脳内の騒がしさがデフォルトになっている人は、逆に頭の中を静かにしてしまうと生きにくくなるんじゃないでしょうか。たとえば、常にスマホを見てないと落ち着かないとか。Twitterをずっと見ているとか。世間を騒がせるニュースや話題に煽られて躍らされているとか。今急いで出さなくてもいい答えを、白か黒かと必死になって出そうとしているとか。そういう感じで、自分が自分の騒がしさをつくり出しているわけです。
今はコロナ禍も落ち着いてきたので、数年ぶりに以前のような夏を過ごせるかと思います。夏の高揚感に背中を押されて、アッパーな方向へと引っ張られるかのように、さらに頭の中がさらに騒々しくなりやすくなることも多いかと思います。そういうときだからこそ、意図的に解像度を落とすことが大切だと思うのです。
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