最新のサティスファクション
Maribrengaëlです。
最近、朝散歩にはまっているのですが、気候的にもとても気持ちいい季節になりました。まだ時々寒さを感じるときはありますが、春の中でも不安定感が抜けてきて花粉によるぞわぞわ感がなく、1年で一番好きな季節になっていきます。ひとことで春と言っても、3月上旬からこれだけ空気の色にはグラデーションがあるんですよね。外で過ごす時間が爽快です。
つい最近富士山方面へ野菜などの買い出しに行ったのですが、有名キャンプ場に入れなかった人たちが、地元の人しかあまり知らないようなマイナーキャンプ場にも長蛇の列をつくっていました。農産物直売所のおじさんが「コロナ渦になってから週末はずっとこんな感じなんだよ。特に最近はさらに増えた」と言っていました。元々アウトドア人気は盛り上がってましたが、都会でできることが限られるようになってからさらにその人口は増えたと思います。某湖のほとりには、タワマンのように集合住宅化したテントの群れが…。
コロナ渦になって、特に「人は持ちすぎてしまったのかなぁ」と感じるようになりました。そして、一周回って何もないところを求めて移動している、と。そしてそれは、「何もないを持つ」ということであるということ。不自由しない状態で何もないも味わいたい、みたいな。グランピングが流行しているのもわかる気がします。
ずっと前に蠍座の友人が「欲がありすぎてツライ」と言っていたことを思い出しました。仕事もしたいし、結婚もしたい、恋人はほしいけどひとりの時間もほしい、何もないのは退屈だけどドラマチックすぎる人生もしんどい…何をしても反対側のことが欲しくなってしまう自分がつらくて重い。どうして、満足できないんだろう、と。「年齢によって価値観も変わるし、結局は色々なことを試しながら、これじゃなかったあれじゃなかったって生きていくんじゃない?」彼女は「だからそれがつらいの」と。
ふと、何もない場所にきて、テントでひしめき合って心から満足している人は何割いるだろうと考えました。密な場所をさけてきているのにまた密だ、とためいきをついているかもしれないし、虫や朝夕の寒さが不快かもしれない、でもそれを超えていくものがどのくらいあるのかという意味での満足。持つ満足ではなくて、持たない満足に気付けるか、というのも今の時代のテーマなのかもしれません。さっそく、あの蠍座の友人にも伝えなくては、ね。
Les Chronovoyageurs...
※日本時間 4/27 12:33 蠍座満月 となります。
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