夜の響きを聞いている。
Naoyaです。
夜。窓を開けて外の空気に触れながら、今このエントリーを書いているところです。
春の夜。とても過ごしやすい気候だけど、ほんのちょっと肌寒い。それが気持ちいいんです。音楽も何もかけず無音の中、車が通り過ぎる音が時折微かに聞こえてきます。その音がさらに夜を心地いいものにしてくれています。寒い冬はもちろん、窓を開いている時間はかなり少なくて、暑い夏もあまりずっと開けていることもないわけですが、この時期はとても過ごしやすいので、夜はできるだけ窓を開けて過ごしたいと思っています。
今日は二十四節気の5番目、清明です。清明とは、清々しく明るさに満ち溢れたときという意味。冬至あたりの夜の濃さとか深さみたいなものが今の時期の夜にはなくて、どことなく明るさとか軽やかさとか、仄かな高揚感を含んでいる感じ。同じような気候の秋の始まりの頃の夜は、これから冬に向かってくという寂しさや終焉に向かっていくような感じとか、孤独を際立たせるような匂いがあるのですが、今の時期の夜はそれとは正反対の感じで、開放的で解けていくような感触があります。
近所のコンビニに行くときに夜道を歩いていたら、マンホールから水が流れる音が聞こえてくることに気づきました。どんな水なのかはわかりませんが、ザーザーと勢いよく流れてマンホールの中を反響する音だけ聞いていると本当に心地よくて、しばらくその場に立ったままで耳を傾けてしまいます。昼の時間帯だとまったく気づくことはないし、夜でも気にせずに歩いていれば、あまり気づくものではないのかもしれません。でも、車の往来が少なくなった夜だからこそ、昼には見えなかったものが浮き彫りになるんです。
家の近くに咲いている大きな桜の木は、だいぶ散ってしまいました。ライトアップされずにひっそりと夜の闇の中で咲き乱れる姿は、ちょっとした狂気とか怖さみたいなものを感じます。昼とはまったく違う表情。観光地で咲く桜とは違って、多くの人に見られるわけでもなく、ただひとりで黙々と咲き乱れて散っていくだけ。そういえば、代官山の街の中にある老木の枝垂れ桜は妖気のようなものを纏っているようで、昼でも美しさと怖さを同時に感じさせます。夜になってライトアップされると、怖さの方が際立ちます。美しい女性の幽霊のような佇まい。
自分の外側に存在する世界、自分の内側にある世界を問わず、昼の間に見えていたさまざまな物事も夜になると姿を隠して、本質のようなものがくっきりと姿を現します。そして、人間の五感自体もより研ぎ澄まされます。特に今のような過ごしやすい時期だと、暑さや寒さで揺らがされることもないので、五感はより安定しやすい。春の夜に文章を書くのが捗るのは、そういうせいなのかもしれません。
0コメント