剥がれ落ちるもの
Maribrengaëlです。
少し前に10年以上つけているネックレスをなくしました。過去に何度かなくしたことがあっても、立ち寄った場所でとっておいてくれたり、車の中に落ちていたりなんとかなってきたものです。でも今回は「なくなったな…」という感覚があったのです。それに、どこでなくなったのかもあまり定かではなく。一応、最近出かけた場所には電話をかけてみたものの、やはりどこにもありませんでした。
大切なものがなくなる時は、自分自身が変化している時、そのものが役目を果たした時だと言われます。ものを大切にするとそれ自体が自分の周波数になっていくのもよくわかるし、それが自分と合わなくなってチグハグする感じもよくわかります。特に香水や柔軟剤なんかは、そのモードじゃなくなるととんでもなく「オエ」という感じになります。特にいやな思い出とともにその匂いがリンクしたりするすると…。
(確かに自分が変化してきているのも感じるし、惜しい気持ちもあるけれどまぁしょうがないな。こうでもしなきゃ変えなかっただろう)と思いながらふと、過去にも同じようなことがあったことを思い出しました。あれはいつだったか。確か早朝の池袋駅でなくした記憶が。そして、SNSをさかのぼるなどしてわかった日付が2011年2月でした。最近なくしたネックレスはそれ以前に買ったもので、それから再びつけるようになったことも思い出しました。そして、今回と同じように「なくなったな…」という感覚があったことも。その後東日本大震災が起こり、私自身も今に続く大きな変化をしていくことになりましたが、もしかしたらあの時と同様ステージが大きく変わる時なのかもしれない。まぁ宇宙もそんな感じだし。特に、今回の水瓶座新月は。という結論に至りました。
お気に入りのものはとても大切にするので、周波数が違ってきていてもそれと気ずかず…なのか、ごまかしつつなのか、持ち続けていることも多いのですが、自分の意思とは別のところでなくしたりするのはまさに「勝手に剥がれ落ちた」ということでもあるかもしれません。そういう時こそ、もう自分には合わなかったんだということを認めようと思いました。ものだけでなく、人との関係でそれを体感している人もいるかもしれません。自分たちの意思ではなく起こること、剥がれ落ちるものって、今とても意味のあることだと感じています。
Les Chronovoyageurs...
※日本時間 2/12 04:07 水瓶座新月 となります。
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