尊い光。
Naoyaです。
今日は立春、二十四節気の最初の節気です。ここからまた新しい一年のサイクルが始まります。立春とは言っても、まだ寒い時期は続きそうで、「春は名のみ」という言い回しがピッタリです。旧暦で季節を感じた方が、しっくりと来るなぁと改めて思っています。とは言うものの、最近の夕方の空のピンクとオレンジが混ざり合ったグラデーションや、ちょっとスモーキーな空気は春そのものだと思っています。
旧暦時代は新しい一年が、立春を元日として始まっていました。元日の前夜は大晦日ですが、立春の前夜は節分に当たります。旧い年から新しい年へ変わるとき、前の年の神さまと新たな年の神さまが交代する際に、そのほんのちょっとした神さまの不在の隙に邪気や鬼が入り込まないように、玄関に鰯の頭を刺した柊の枝を飾って、豆を撒いて追い払うというのが節分の習わしの意味です。
ちなみに今年の節分は124年ぶりに2/2となりました。2/3の23時59分に立春を迎えるためです。たった1分ずれ込んだだけなのですが、日にちで区切ると1日ずれてしまうわけです。この投稿はちょうど2/3の0時にしているので、そこからほぼ24時間後に立春を迎えるという感じ。
外の光や空気感に、春めいた質感や匂いを感じることが多くなってきました。日没の時刻もだんだん遅くなっていて、昼の時間も長くなったなぁと実感しているところ。暖かさというよりも、光の存在を感じる時間が増えているように思えます。
相変わらず混沌とした今の状況とは裏腹に、季節は変わらず着々と巡りながら、少しずつ光を湛えています。閉じていたものがちょっとずつ解けていくような、開いていくような感触。冬至の翌日から日が徐々に延びていくものの、あのくらいの時期は光の存在を感じるタイミングはとても少なくて、まるで真っ暗な深海にいるように思えます。そこから日に日に、どんどん上へ上へと泳いでいくうちに、海上の光を感じられるようになっているのが、ちょうど今くらいの時期でしょう。
「光の春」という季語があります。これは元々ロシアで使われていた言葉だそうで、ロシアの長い冬の終わりから日がちょっとずつ長くなり、空が明るくなっていく2月の様子を「光の春」と呼ぶのだそう。光の存在をダイレクトに感じながら、春ならではの光の尊さを味わえる時間が増えてきています。外出する機会は少なくなり、遠出するのも難しいですが、光を浴びた心身のリセットはとても大切です。
この「森羅万象の聲」も4シーズン目に入りました。なんとなく始めて、なんとなく続けているうちに、季節はどんどん巡って3年が過ぎた感じです。最初の頃は季節や二十四節気の説明っぽい内容が中心だったものの、最近はそのとき感じた個人的なことを自分のために書き綴っています。やっと森羅万象の声というものにじっくりと耳を傾けて、自分なりの翻訳で表現できるようになってきたのかもしれません。
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