maribrengael708

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違った飛び方のできるふたつの翼。

Naoyaです。自転車を漕いでいたら、街角でミモザの木を見かけました。黄色い小さなポンポンのような花をたくさん咲かせていました。花屋だけでなく、コンビニでもミモザの切り花が売られていたし、よく映画を観に行く複合施設でも毎年恒例のミモザのお祭りのために、あちこちにミモザが飾られています。春だなぁと感じます。日本で春の色というとピンクをイメージする人が多いと思いますが、僕はミモザや菜の花のような鮮やかな黄色も春の色だと思っています。今日は二十四節気の3番目、啓蟄です。冬眠していた虫たちが土から出てくる頃というタイミング。重いアウターが必要な寒い日もあれば、Tシャツだけで過ごしたい暖かい日もあって、どんどん春へと移ろっている今日この頃です。「今後はもっと喋る活動を増やしたい」さっき7年前のFacebookの投稿を目にして、そんなこと書いていたなぁと思い出しました。なんだかいろいろと人前で喋る機会が増えていた頃です。では、今はどうなのか?書くことも喋ることも分け隔てなく、そのときに必要な表現方法を使えばいいと思っています。違った飛び方のできるふたつの翼を使い分けているような感じです。「Naoyaさん、最近書いてますか?」以前、占星術のSUGARさんと話していたとき、そう聞かれたことがありました。ちょうど喋る機会が増えていたその頃だったと思います。書くことに飽きたから、喋ることをもっと増やそうと思っていたときでした。SUGARさんによると、僕はホロスコープ的に書く星の下に生まれているのだそうです。喋ることと書くことは同じようでいて、ちょっと違う「ハウス」を使っていることを説明してくれました。「だからもっと書いた方がいいですよ」SUGARさんにそう言われて、妙に腑に落ちたというかハッとさせられました。そこから喋る活動を増やしたい云々と思ったり、自分で自分をコントロールしたりするのをやめて、流れにゆだねることにしました。うちの先祖には俳人がいて、松尾芭蕉が弟子の曾良と「奥の細道」の旅の途中で先祖の家に宿泊した…なんて話を、かつて祖母から聞いたことがありましたが、その血を引いていると勝手に思っています。うちの父はまったくそういうタイプではありませんでしたが、隔世遺伝という概念に当てはめれば納得できます。僕にとっての書くという行為は食事や歯磨き、入浴、あるいは呼吸や睡眠、排泄と同じライン上にあるものです。趣味でも仕事でもない感じ。たまたまそれがこれまで仕事に活かせているだけなのです。YouTubeで定期的に喋る機会を得ているせいでしょうか。最近、書くという行為が改めていいなと思っています。文章を書くのが苦痛で書くのに一苦労する人もいますが、ふと書きたいと思ったときに、気軽に書くことができるタイプの人間で本当によかったと思っています。書くことが好きな理由は、ひとりでも成立できることだからです。自分ひとりで書いて読んでも成立できますし、誰かが読めば結果として社交のきっかけにもなります。でも、始まりはひとりで孤独という部分に強く惹かれます。僕は自分の文章がうまいと思ったことはありませんが、でも、伝わりやすくてわかりやすいとは思っています。意図的に笑わせるあざといコメディが僕は苦手なのですが、それと同じような感じで奇をてらった文章が苦手。そういう文章を目にすると、途端に思考回路や読解力が機能しなくなります。だから、自分が書く文章は至ってシンプルなものにしたいと思っています。毎朝、Xでポストしている「今日のマナカード(通称:朝マナ)」もそうですし、この「森羅万象の聲」や映画の感想を投稿しているFilmarksもそうなのですが、基本的に誰かに読んでもらいたいというガツガツした欲求がなくて自分自身のために書いているので、たとえ読まれなくても反応がなくても特に気にしません。でも、誰かが読んでくれたならそれはそれで嬉しいです。自分が主人公でありたいとか、みんなのアイドル的な存在になりたい、注目されたいという人だと、読んでもらえないことに不満や寂しさ、不安や憤り、悔しさを感じるでしょう。そういうものがまったくない自分にとっては、自分が書くと決めた場で書きたいことを書きたいように書いて完結しているのです。それは自分の中に存在する小宇宙を自分で回している感覚にも似ています。2024年「宇宙詠みチャート」は5/2(木)まで再販中です。

無風状態。

Naoyaです。春一番が吹いて暖かな春を思わせたら、また寒さが戻りました。サウナの後の冷水のようなコントラスト。暖かさと寒さを繰り返しながら、徐々に春になっていくところです。このくらいの時期、鼻の奥がツンとするときがあるんです。冬の終わりからしてくる春の匂いというか、木が芽吹いている香りというか。どこからともなく漂う花の香りと混ざり合う感じがとても好き。自転車を漕ぎながら、そんなものをふと感じるとちょっと嬉しい気持ちになります。今日は二十四節気の2番目の節気、雨水です。冬の凍てついた氷や雪が解けて流れ始めるとき。暖かくなってくることで、雪が雨へと変わっていきます。大地は潤い植物が芽吹き、動物たちも活動を始めていく頃となりました。そして魚座のシーズンに突入しました。今年はオリンピックがあるので閏年ということで、2月は29日まであるんですよね。冬の間、夜ごはんのおかずを考えることやつくることが面倒なときは、常夜鍋にしてしまうことがとても多いです。春菊や小松菜、白菜などの葉物野菜と木綿豆腐、豚バラを出汁で煮てポン酢醤油でいただいた後、ご飯を入れて汁を吸わせながら牡蠣出汁醤油で味を整え、溶き玉子で雑炊にするという定番のシークエンス。まぁ、料理をつくることは嫌いじゃないけど、何をつくろうか考えるというのが面倒になることがしばしばあって、そうなると常夜鍋にしてしまいます。葉物野菜を変えるだけでも、ヴァリエーションになりますしね。最近は着る服を考えることも面倒になっていて、昨年の夏は同じ白Tシャツを何枚も入手して、それを順々に着ていたくらいなんです。お洒落することは好きですし、パッと決まればいいのですが、考えて選ぶのが本当に煩わしいと思っているくらいです。家で配信の映画を観るときもそう。観るものや観たいものが決まっていればいいのですが、考えて選ぶのは本当に面倒で、考え始めてはまりそうなときは過去に観た映画を観直すとか、何も観ないなんてこともちょくちょくあります。僕は、物事を選ぶときは基本的に迷わないタイプです。買い物で何を買うかや外食のメニューは即決できます。考えることに時間を要するのが年々面倒になってきていて、考えるのが長くなりそうだなと思ったときには、スパッと断ち切ってやめてしまうのです。無駄にうだうだと考えていても仕方がない、考えていても生産性がないなと思うと、考えるのをすぐにやめてしまいます。若い頃はいろんなことを常に考えていました。まったく生産性のないことでもずっと考えていたし、むしろ、考えたままでいることに陶酔していた感じ。思い悩むというのともちょっと違っていて、常に何かしらを頭の中のまな板に乗せて、それをこねくり回していたようでした。最近は無駄に考えることに飽きてしまった感じです。もちろん、考えなくてはならないことは真剣に考えますが、とても集中するのでかなり短時間で終わってしまいます。冥王星が水瓶座へ移動して、来年は天王星が双子座へ移動して、どんどん「風の時代」が進行していきますが、風の星座生まれの自分にとって、なるべく無駄な風や不必要な風を自分の中に吹かせたくないし、そういう風を取り込みたくない、巻き込まれたくないと思っているところです。

厳しさの先にあるもの。

Naoyaです。今日は立春、二十四節気の最初の節気です。暦の上では春です。季節の新しいサイクル、宇宙の新しい一年がここからまた新たに始まります。2024年の立春の時刻は11:43です。「春」とは文字通り、春夏秋冬という季節の春のことではありますが、冬のような厳しいことを乗り越えた先にあるものも「春」です。「春」という希望や安堵のとき。リストラで始まった厄年と土星天秤座期が重なったかつての僕の3年間も、そんな「春」を待ちわびて日々過ごしていたことを思い出しました。中島みゆきさんに「春までなんぼ」という歌があるのですが、あの「春」はかなりいろんな解釈ができるので興味深いです。松任谷由実さんの「春よ、来い」という歌はリリース当時よりも、今聴いた方がより深く胸に沁みるようになりました。阪神淡路大震災や東日本大震災のときに人々の心を支える曲となり、厳しいことを乗り越えた先にあるものが「春」なんだと改めて痛感してから、曲が持つ力がさらに増したかのように思えるからです。あまりネット上では言及していませんでしたが、元日に起きた能登半島地震で被災された方々の一日も早い復興をお祈りしています。安田成美さんが「風の谷のナウシカ」を作曲の細野晴臣さんのプロデュースの下、「風の谷のナウシカ」劇場公開40周年を記念してリメイクしました。2023年3月、安田さんが細野さんのラジオにゲスト出演して「歌いたい」と細野さんにお話しされていたのをオンタイムで聴いていたのですが、本当に実現するとは思っていませんでした。一緒にリリースした「銀色のハーモニカ」も好きな曲。これも細野さんの作曲です。「人はなぜ傷つけ合うの?」「風の谷のナウシカ」の中にこのような歌詞があるのですが、これもリリースされた当時よりも今聴くとより刺さるフレーズになっている気がします。戦争から日常の人と人との中傷や諍い、暴力や攻撃に至るまで、傷つけ合う場面が本当に多い今の時代。訳もわからないまま、楽しんで娯楽のようにゲーム感覚で傷つけ合っているんじゃないか…と思うこともしばしばあります。そんな今の時代に向けて、強いメッセージを柔らかな子守唄のように、そして春の光のように歌う安田さんのヴォーカル。それを包み込むような細野さんのオーガニックなエレクトロサウンド。そして何より、作詞の松本隆さんが綴った言葉の力。三位一体の浄化力。本当に嬉しい再会です。まるで40年ぶりに開いたタイムカプセルから、忘れていた凄いメモが出てきたかのようでした。さりげないけどハッとさせられるフレーズ。この頃、僕はタイムレスな感覚に陥ることがちょくちょくあるのですが、まさにこの曲もそんな感じでした。人それぞれいろんな「春」があります。今が厳しいときの人にとっても、素晴らしい春が訪れることを静かに祈っています。

旅はまだ続く。

Naoyaです。二十四節気は今日で最後の24番目の節気、大寒です。文字通り、一年でもっとも寒い時期。寒さで身も心も引き締まります。日本の季節の移ろいのサイクルが、これでまたひとつ終わりを迎えます。そして、今日から水瓶座のシーズンのスタートです。6年前、2018年の大寒に僕がプレオープンの投稿をしてこの「森羅万象の聲」が始まりました。気づいたら6周年を迎え、次のMaribrengaëlさんの投稿から7シーズン目に突入します。コラボレーションにおいて相手と息を合わせることも、なめらかで淀みのない意思の疎通を成立させることも、淡々と長く続けていくこともなかなか難しいと思うのですが、多分「続けよう」とするガツガツした貪欲さや「続けなくちゃ」という義務感、そして何よりも雑音にしかならないような自己主張がお互いにないから続いているんだと思っています。「宇宙詠みチャート」は「森羅万象の聲」より一年早く誕生し、2024年版で7周年となりました。このチャートはMaribrengaëlさんと感覚的にシェアしているものを形にしたものなのですが、この「感覚的にシェアしているもの」を言葉にするのはなかなか難しく、これまで特に明確に言語化してこなかったのですが、今このタイミングで自分の中にひらめいたものがあったので、「宇宙力」という概念として言語化したところ、かなりしっくりときたのです。「宇宙詠みチャート」は、それぞれが本来持つ「宇宙力」というものを高めていくツールです。「森羅万象の聲」ではご紹介していなかったので、ここでシェアさせていただきます。<宇宙力とは?>宇宙のリズムを感覚的につかんで流れに乗ることによって、自分のポテンシャルや運気をアップしていくスキルや能力のこと。宇宙詠み的にそう呼びます。本来、誰もが兼ね備えている動物的な感覚で、今の時代、これからの時代にとても必要な力です。人間は物事を善か悪か、必要か不必要かで判断しがちですが、宇宙が提示するものや与えてくるものに良い悪いや不必要というジャッジは必要ありません。個人個人の感情とは関係なく、すべてが必然なこととして起きているからです。余計なことを頭でごちゃごちゃ考えるのをやめて、自分自身をシンプルでニュートラルな状態にした上で、免疫力をアップするかのようにただ宇宙力を高めて、宇宙にゆだねられることができるようになると、感覚が研ぎ澄まされて大切なことをキャッチできるようになり、危機管理能力もアップするようになるでしょう。我々が「宇宙詠みチャート」や「森羅万象の聲」を携えて巡っている旅において、またひとつ大きな節目を迎えたという証が、この「宇宙力」という言葉が降りてきたことに象徴されていると感じています。ただひたすらやるべきミッションをやってきたところで、スッと差し出されたギフトを受け取ったような、あるいは次の場所へ行くためのチケットを渡されたような感触。「宇宙詠みチャート」やYouTube、我々を信じて支持してくれている皆さんは、同じ船に同乗しているクルーのように感じます。そんな皆さんにも、そのギフトやチケットをシェアさせていただきました。YouTubeでも「宇宙力」について詳しく話していますので、そちらもご視聴ください。旅はここからまだ続きます。

復活する力。

Naoyaです。2024年になりました。今日は二十四節気の23番目、小寒です。二十四節気のサイクルは、いよいよ次の大寒でおしまいです。小寒は「寒の入り」と言われるタイミングです。小寒から立春の前日までのひと月を「寒の内」と呼び、一年でもっとも寒い時期へ突入しました。大晦日、思い立ってビヨンセのライヴ映画「Renaissance:A Film by Beyoncé」を急遽観に行きました。大晦日は外出せずに家でのんびりしたかったのですが、限定公開の最終日ということだったので外出する決断をしました。これはビヨンセのルネッサンス・ツアーのステージと舞台裏を収録したもので、とにかくすべてに愛とリスペクトと感謝が満ち溢れた3時間。単なる煌びやかなライヴ映像ではなく、ビヨンセの生き方が詰め込まれたドキュメンタリーです。Renaissanceとは日本語で復活や再生、復興という意味で、コロナ禍からの復興や人生で何度も傷ついてきたビヨンセが再生してきたという意味合いが含まれているんだと思います。なんだか物凄いパワフルな神社に参拝したかのようでした。強烈な浄化力とご利益を授かったようです。映画を観ていて感じたのは、ビヨンセは常に闘っているし、自己責任もきちんと取っているし、身を持って傷つくことや痛みを知っている人なんだということ。ネガティヴな要素をすべてポジティヴに転換して、人生の糧にする感じはお手本にしたいところです。とにかく衣装の数が凄くて圧巻でした。Destiny’s Childでのデビュー時、黒人差別によってハイブランドから衣装製作を断られ、ビヨンセの母親と叔父さんが衣装をつくっていたというエピソードが出てきましたが、エンドロールの衣装のクレジットには有名なハイブランドの名前がずらり。闘い抜いたビヨンセが勝った証なんだと胸が熱くなりました。挫けずに諦めずにやり続けることで得られるものを、ビヨンセは見せてくれているかのようでした。生きている以上、人はいろんな障害や挫折にぶち当たります。ある日突然、まったく予想もしていなかった辛いことにぶつかることもあるでしょう。もう立ち上がれないと思うくらいに落胆することもあるかと思います。でも、時間がかかったとしても、復活や再生の力を宿しながら前に突き進むしかありません。復活しようとする人には、誰かからの手が差し伸べられ温かい声がかけられるでしょう。それを心の支えにして諦めることなく、さらに復活のプロセスを歩めたときに大きな成長を遂げられるでしょう。そして次に障害にぶち当たっている誰かを見かけたとき、その人の支えになることができるのです。

今を生きる。

Naoyaです。今日は二十四節気の22番目、冬至です。昼の時間が一年で一番短く、夜の時間が一番長い日。太陽の威力がもっとも弱まって、陰陽の陰のエネルギーがもっとも極まる日ですが、ここから昼の長さが徐々に延びていく逆転のタイミングでもあります。そして、同日から山羊座の季節が始まります。自分の中では暦の大きな節目という感じです。冬至図をリーディングした動画も公開しました。そちらもチェックしてみてください。いろいろと映画を観ていると、時系列をバラバラに解体して入れ替えた作品によく出会います。現在と過去を交互に据えて物語が進むものだとか、あるいは、過去だと思っていたものが実は未来だったというギミックを効かせた作品もあります。まるで時間の感覚を狂わされたかのようで面白いです。僕が大好きな某作品はまさにそれ。ネタバレしちゃうとダメなので作品名は伏せますが、時系列を頭の中で確認しながら組み替えつつ、物語の奥深さを味わいたくなって、思わず何度も観てしまう作品です。中には韓国のイ・チャンドン監督の「ペパーミント・キャンディー」やフランスのギャスパー・ノエ監督の「アレックス」みたいに、時系列をごっそり丸ごと引っくり返した作品もありますが、観る側にとっての映画の結末という未来に、物語の一番古い過去が用意されているという構成は、時間という概念をぶち壊されるかのように思えて、逆毛にブラッシングされたかのような不思議な心地よさがあります。ちなみに「アレックス」は昨年、時系列通りに物語を組み替えたSTRAIGHT CUTというヴァージョンも公開されましたが、時系列通りにすると、物語のニュアンスがまた違って見えてくる感じがしました。ちなみに「アレックス」は内容的にあまり万人向けじゃない過激な内容なのですが、僕は大好きな作品です。年末になるとその一年を振り返る人も多いと思います。過去という過ぎ去った時間に触れるという行為はただの懐古趣味や後ずさりではなくて、自分の物語の未来を知るためので、避けることのできない通り道というかプロセスだなと感じるのです。時系列を組み替えた映画のような感じで、振り返って過去に触れながらも、自分の物語は未来へと着実に進んでいくということです。もちろん過去の回想が延々と終わらない振り返り方や、今も未来を見ないでその場で足踏みをしたまま過去に縛られてしまうと、自分の物語が一向に次へと進まなくなってしまうので、そういう振り返り方はよくありません。もしくは前に進むために、思い出したくない過去に触れなくてはならないということもあったとき、しっかりと過去と向き合う必要もあるでしょう。自分の物語の未来を知るために過去の回想が必要だと感じたら、足取りを止めずに歩みながら振り返ってみてください。そしてまた未来へとさらに一歩を踏み出してください。それが今を生きるということです。2024年「宇宙詠みチャート」の販売はいよいよ12/29(金)までとなりました。お見逃しのないように。

限りなくニュートラル。

Naoyaです。今日は二十四節気の21番目、大雪です。クリスマスが近いからというわけではないのですが、モミのアロマオイルを2種類手に入れました。シベリアモミとダグラスファー。アロマに詳しい知人から、フィトンチッドの浄化力が大切という話を聞いたからです。先日、葛飾区の立石に初めて行ってきました。地元の横浜から京浜急行に乗り、そのまま浅草線へと乗り入れた後、さらに乗り入れで京成線へと続いていきました。京成線に切り替わって地下鉄から地上へ出たとき、空の広さと高さにハッとしました。都心ではあまり感じられない開放感。高い建物が少ない街並みがずーっと広がっていたせいでしょう。車窓から振り返ると、空を突き刺すようにそびえ立つスカイツリーが印象的でした。葛飾の方面は別に避けていたわけではないのですが、これまであまり行かなかったエリア。「遠い」というイメージを自分の中で勝手に増長しすぎたせいでしょう。立石の街はこじんまりとして落ち着きがあって、地元の生麦に似た雰囲気で安心感がありました。新鮮な感動や驚きがこんな年齢になってもまだあるんだなぁと嬉しくなりました。最近、冬のイルミネーションを街のあちらこちらで目にすることが多いのですが、以前だったらなんとも思わなくて素通りしちゃうし、どうでもいいくらいにしか思っていたのに、ここ数年、綺麗だなぁとかロマンチックだなぁとか、感動的だなぁとか、普通にそんな感情が湧き上がるようになってきます。そういえば、散々苦手だと言い張っていたミュージカルを観て涙しちゃうことなんかもあります。韓国の「人生は、美しい」というミュージカル映画は号泣してしまったほどで、今も思い出すだけでウルウルしてしまうくらい。昔の自分だったら信じられないことだなぁと我ながら冷静に思っています。この頃、確実に自分の内面に変化が起きています。自分の人生の可能性や楽しさを、どれだけ自分の手で塞いでいたんだろうってことに改めて気づき、自分の中の心に残ったブロックみたいなものが次々と外れている感覚があるのです。自分の中にあった勝手な偏見みたいなものが、どんどんなくなっているのです。限りなくニュートラルに物事に接するようになっている感じ。次々と好きなものや楽しいもので満ちていくような感じ。幾つもの閉ざしていた扉が次々と開いて、開放感に満ちているのです。本当に苦手なものは苦手でいいと思いますが、「苦手意識」みたいなものはきっちり手放していきたいと思っています。未経験なものや漠然と「苦手意識」を持っているものには前向きに触れてみて、そこで自分が何を感じるのかを楽しんでいる感じです。偏見というフィルターを挟まずに、ありのままをありのまま感じることの大切さ。なるべく「苦手意識」という不要な荷物を降ろして、身軽でニュートラルな状態でいることを心がけています。人生をより楽しむためには、そういう状態でいることが大切だなと思います。2024年「宇宙詠みチャート」の販売は12/29(金)いっぱいです。2021年から2023年までのチャートも無料ダウンロードできて、2024年のベストタイミングのつかみ方についての特典動画もあります。

自浄力。

Naoyaです。美しい夕焼けを目にする日が多いですのですが、夕方の時間がとても短くて、あっという間に夜の闇に包まれてしまう今日この頃。夜の旅の長い季節になりました。そして、かなり寒くなりました。厚い掛け布団に替えるタイミングがなかなかつかめなかったのですが、ちょっと前にやっと替えて温かくて心地よくなりました。今日は二十四節気の20番目、小雪です。北国や山間の地域ではそろそろ雪が降る頃、という意味。そして今日から射手座のシーズンが始まります。本当に早いですね。あるときからずっと夢と現実の境目があやふやになっていて、ひと晩眠って起きた朝、昨日起きたあの出来事って、夢の中のことだったのかなと錯覚することがよくあります。確かに体験した現実のくっきりとシャープな輪郭が眠っている間に溶けてぼやけて、目が覚めたときにはぼんやりとした夢のような感触だけが残る感じ。だから、嫌なことや残念なことがあったとしても、就寝すればある程度はリセットされてしまうんです。あぁ、あれって夢だったのかもしれないなぁと、違和感なく納得してしまう感じです。逆に、就寝中に見た夢を現実的に感じることも多いです。くっきりとした残像、鮮明な輪郭のリアルな夢。起きてから見た夢をいったんはっきりと思い出した後、その夢もスッと頭の中から薄れていきます。夢は記憶の情報処理のようなものらしいです。実際に起きた現実も夢として処理された情報も、すべてリセットされて頭の中から流れ去ります。頭に何も残ってないのです。別なところでも話していますが、この頃、常に頭の中を空にしておくようにしています。いいこともそうじゃないことも、とにかくすべてを洗い流すかのようにして頭を空にしています。本当に必要なことを考えるためのスペースを頭の中につくっておくようなイメージです。その日のことを翌日に引きずらないこと。考えても解決に繋がらないことをいつまでも頭の中に置き続けないこと。意図的にそうしているというよりも、オートマティックな自浄作用のような設定が自分の中ででき上がっているので、勝手に起動している感じです。それはある種の自己防衛本能に近いかもしれません。とにかく自分は眠りが深いおかげでリセット力はかなり強いです。眠れない人、眠りが浅い人は、そういうリセットする力や自浄作用の力が弱いからこそ、いつまでも嫌なことを引きずったり頭の中がぐるぐるしたりしているんだと思います。深夜残業が多い広告制作の会社員時代、あまりにも睡眠時間が少なすぎる上に、次から次へと舞い込んでくる案件に翻弄されるばかりで、仕事のクオリティが上がらないという自浄力が弱い時代がありました。そして延々と残業が終わらずに睡眠時間が短くなる。おまけにその睡眠の質が悪いのでリセットもままならない状態に。人生のすべての流れが負の方向に向いて渦を巻いている感じでした。今考えるとあれはかなり異常なことだったと思います。今はとにかく自浄力を上げた方がいい時代だと思っています。何かのサポートを使ってもいいので、自分自身で浄化できる仕組みをつくった方がいいです。自分の中を常にクリアにしておくこと。執着やこだわりを手放して、ニュートラルな状態の自分をキープしておくこと。いいこだわりだと思い込んでいることも、実はいい流れを堰きとめる障害物でしかないなんてこともあるかもしれません。深い眠りは自浄力のためにとても必要なプロセスです。いいことも悪いことも手放して、毎日きちんと自分を新しく生まれ変わらせるイメージを持つことが大切です。2024年「宇宙詠みチャート」は12/29(金)いっぱいまで販売中。丁寧な解説動画つき。2024年に自分がやりたいことのベストタイミングをつかむための動画が視聴可能な上に、2021年〜23年のチャートも無料ダウンロードできるという太っ腹な特典もついてます。

時間という概念。

Naoyaです。今日は二十四節気の19番目、立冬です。秋が終わりを告げていよいよ冬の到来です。暦の上では、今日から立春の前日までが冬となります。この投稿の2日前。なんだか生暖かい感じがして朝早くに目が覚めてしまいました。これで秋なの?冬なの?という生ぬるさに、無意識のうちに掛け布団を剥いでしまったほど。昼間は半袖のTシャツで買い物に行くくらいで、外出のときは着脱可能な上着を持っているという感じ。洋服における季節感がまったくありません。そして昨日は台風のような生ぬるい嵐が到来。このまま程よい塩梅の秋らしさもないまま、いきなりストンと寒くなりそうな感じがしています。侘び寂びのない季節の移ろいは、本当に味気ないと感じています。最近、ビートルズの新曲がリリースされました。今この時代にビートルズが新曲だなんてビックリです。ちょっと前には70年前の「ローマの休日」がスクリーンで上映されて、渋谷のタワーレコードでは、昔のいろんなアルバムのレコードが大量に並べられています。少し前にタワレコに行ったときは、1983年にリリースされた亜蘭知子「浮遊空間」のアナログが大量に陳列されているという不思議な光景を目の当たりにしました。これらは単なる懐古趣味ではないと僕は思っています。ビートルズはAIによって音質の悪いカセットテープからジョン・レノンの声を ”クリスタルクリア” に抽出したものに新たに演奏が乗せられ、「ローマの休日」も4Kにレストアされ、亜蘭知子はザ・ウィークエンドによってサンプリングされて若い世代からも注目を浴びたこともあり、何かしらの新しい要素やアップデートが施されているからです。それはまるで、時間という概念の解体や時系列の解体のように思えて、時間軸を狂わされているかのようにも思えます。AIという技術の使い方に対しては、個人的には素直に賛同できない部分も多い中、ビートルズのこのような使い方はとてもいいと思います。この前観に行った中国の映画「ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ」は、まさに時間という概念を解体させるような作品でした。過去と現在、そして記憶と夢のどれがどれだかわからなくなるような構成で、時間という概念や時系列に縛られずに感覚的に捉えた方が、すんなりと自分の中に入ってくるような感じがしました。先日、25年近く前の知人と再会していろんな話で盛り上がったのですが、そのとき昔の話をしながらも、単なる懐かしさをなぞっているだけではなく、抜け落ちた記憶を互いに確認し、補足して修復しながら、今の物語として綺麗に綴り直すかのようで、まさに自分の昔の忘れかけていた物語をレストアしているような感じがしました。単に過去を回想して懐かしんでいるだけだと懐古趣味で終わってしまいますが、過去を取り上げながら今に繋げられることができると、今必要なものが見えてきたり新しい発見に繋がったりしてくると思います。大切なのは過去と今を分断せず、シームレスに捉えること。過去を悔やんだり、過去の栄光にすがりついたりすることもなく、今をしっかり生きることがとても大切です。過去と今には境目があるようでいて、境目なんていうものはありません。ひたすらずーっと繋がっているからです。過去を過去として分断してしまうのは、その人の勝手な思い込みです。今を生きながらも時間という概念に縛られることなく、いつでも過去と今を行き来できる柔軟さが、明日の自分を豊かに育てていきます。2024年「宇宙詠みチャート」の販売は12/29(金)までです。2021〜23年のチャートや、2024年において自分のやりたいことのベストタイミングを詠む動画も特典としてついてます。お見逃しないように。

昏い海の依り代。

Naoyaです。今日は二十四節気の18番目、霜降です。稲を刈り取った田んぼに初霜が降りる時期という意味です。そして、今日から蠍座のシーズンになります。この秋は例年以上に金木犀の香りに満ち溢れているように思えます。うちの周りにはたくさんの金木犀が植えられていて、このくらいの時期になるといい香りがするのですが、この秋はいつも以上に香りが強く感じるのです。窓を開けるだけで香りが部屋の中までしてくるし、外に出ると空気の匂いが金木犀そのもの。花の香りが強まっているのか、自分の嗅覚が敏感に研ぎ澄まされているのか。それはよくわかりませんが、昼も夜もいい香りで満ちていました。そんな金木犀の香りもあっという間にしなくなります。昼の時間が日に日に短くなり、夜の時間もだいぶ長くなってきました。ひんやりとした夜の空気に漂う金木犀の香りは現実の境界線をあやふやにしながら、不思議な世界へといざなうかのように思えます。夜という領域は閉鎖的でありながらも、自分の深い部分へと旅をさせてくれる時間だと思っています。夜の時間を過ごす自分は、まるで昏い海にそっと浮かべられた小さな舟のようです。どこに辿り着くのかは想像できないし、むしろそういうつまらない想像はしていません。毎年、誕生日が終わるとさらに秋が深まっていくのを感じます。秋は自分にとって一年の中で、もっとも孤独の時間を心地よく過ごせる季節だと思っています。「読書の秋」と言われて秋の夜長に読書に没頭できるのは、そういう所以なのではないかとも思えるのです。孤独というものをネガティヴに捉えている人にとっては単に寂しい、退屈、物足りないという感じにしか思えないでしょうが、孤独の時間から見えてくるもの、得られるものはどこか崇高で、極めて純度の高い自分だけのエッセンスだと思っています。ずっと誰かと一緒にいる人、あるいは誰かといないと自分が成立しない人、他人に依存し切っている人だと、こういうひらめきやインスピレーションを降ろすための「依り代」のようなスペースを自分の中に持つことは難しいでしょう。誰かと共に過ごす時間も素晴らしいものですが、それと同じくらい孤独な時間も、人がより成長していく上で僕は大切だと思っています。この「森羅万象の聲」を綴っている時間も、僕にとっては孤独な時間です。自分で感じているそのときの思いを勝手にひとりで吐き出しているからです。誰かに読まれても読まれなくても、自分の漠然とした思いを明確に言語化することだけで、十分に意味があると思っています。この場が自分の「依り代」に降ろすきっかけのような役割を果たしてくれているかのように思います。2024年の「宇宙詠みチャート」は好評販売中です。購入者向けに特典動画を急遽公開することになりました。X(元Twitter)やYouTubeのコミュニティなどをチェックしてみてください。

魂が揺さぶられる。

Naoyaです。9月の後半あたりから、映画好きな知人に教えてもらった韓国のキム・ギドク監督の作品を次々と観ていて、ひとりレトロスペクティヴ状態でした。「魚と寝る女」「絶対の愛」「メビウス」「悪い男」「嘆きのピエタ」「弓」「春夏秋冬そして春」「受取人不明」「うつせみ」「サマリア」そして、監督のドキュメンタリー「アリラン」といったギドクの主要な作品を次々と観ました。実はギドクって避けていたわけじゃないのに、なぜかこれまでまったく通ってこなかったんです。でも今回、その強烈にかなり刺さりまくってしまいました。その合間で中国のロウ・イエ監督の「天安門、恋人たち」「パリ、ただよう花」や台湾のツァイ・ミンリャン監督「愛情萬歳」を配信やレンタルで観たり、ラース・フォン・トリアー監督のレトロスペクティヴで「ニンフォマニアック」のディレクターズカット版の1と2や「奇跡の海」を劇場で観たりしていました。インパクトが強烈な作品ばかり観ていて、感情や心が揺さぶられるような日々。いや、揺さぶられたのは単なる感情というよりも、魂の領域という感じがしています。ギドクでこまめに揺さぶっていた後、トリアーで強烈に揺さぶって、そんなタイミングで松任谷由実の武道館ライヴ。本当に素晴らしかったです。正直、自分の感情の静寂のポジションがどこにあるのかがわからなくなっていました。そんな状態を楽しんでいる自分がいたのは確かです。ギドクもトリアーも嫌悪感に近い揺さぶり方の作品が多いので、感性のリセットに近いものがあります。揺さぶって再構築していくような荒療治なリセット。ユーミンのライヴが終わり、ちょっと落ち着きを取り戻したタイミングで、トリアーの「メランコリア」を劇場で観ました。以前観たことがありましたが、劇場で観たかった作品なんです。「メランコリア」という惑星が地球に衝突していく一途を辿る過程において、鬱だった妹は解放感で満ち溢れていき、平常心がある姉はどんどん取り乱していき、立場が徐々に逆転していくという話。SFだけどどことなくファンタジックであり、でもかなり現実的。オープニングのスーパースローの映像や圧巻のラストの映像が素晴らしいんです。それをスクリーンで観たかったので、今回願いが叶って嬉しく思います。最初メランコリアという惑星は、さそり座のアンタレスと見間違えるようなポツンと小さな赤い星だったのですが、徐々に地球に近づいてきて二つ目の月のような佇まいになっていきます。以前観たときは、シャルロット・ゲンズブール演じる姉と似たような心境でしたが、今の自分だとキルティン・ダンスト演じる妹に近い心境かもしれません。この頃、あまりにもたくさんの人間の愚行や欲望で溢れ返っているこの地球という星を救うには、「メランコリア」のような感じじゃないと無理なんじゃないのかと思ったからです。究極の浄化であり解放であり、僕はハッピーエンドとして捉えた作品です。今日は二十四節気の17番目、寒露です。朝や晩の冷えた空気の中、草木や花に朝露が宿るというのが寒露の由来。だいぶ涼しくなって過ごしやすくなりました。2024年「宇宙詠みチャート」も販売されて、続々とお申し込みをいただいています。今回で7年目。リピーターの方も多いのですが、YouTube経由での新規の方がとても多いのが印象的。中には以前からずーっと気になっていたものの、今回初めて申し込んだという方もいて、2024年が大切な年になることをそんなところからも感じています。気になっているという方はぜひお見逃しなく。