maribrengael708

記事一覧(38)

プールサイドに秋の気配。

Naoyaです。今日は二十四節気の13番目、立秋です。二十四節気は後半へと突入。暦の上では秋となりました。いやぁ、まだまだ暑い。それも尋常じゃないほどの暑さ。秋なんて呼べる気候じゃありません。昨日は旧暦の七夕だったのですが、旧暦で数えた方がしっくりと来るんじゃないでしょうか。だけど、今の時期の光の感じは、初夏の頃の鋭さとは違って、確実に和らいで丸みが出てきています。空には秋っぽい雲が浮かんでいるなんてこともあります。そういうあたりに季節の移ろいを感じます。晩夏から初秋へのグラデーション。ただ暑さに気を取られているだけだと、あまり感じることはできないかもしれませんが。かつて若い頃、毎年夏の休日は朝早くから夕方前まで、屋外プールで過ごしていました。太陽の恩恵を惜しみなく受け取りながら、とにかく日灼けがしたかったからです。日サロに通っていたこともありました。それにしてもあの頃の夏は、今ほど暑くなかったと思うのは、勝手な思い込みでしょうか。プールサイドで寝そべって体に火照りを感じると、ひんやりとした水に飛び込んで冷やしながら、ゆっくりとクロールで泳いでいました。太陽の眩しさ、熱を帯びた肌の感触、水の冷たさ、水中の光や音、熱く焼けたコンクリートのプールサイド、シートの上で生温くなったペットボトルなど、すべて今でも鮮明に覚えています。お盆くらいの時期になると、陽射しの弱まりを感じるタイミングがふと訪れ、心地よい冷たさの水も、肌寒さ寄りの冷えを感じるようになったりもしました。水面には掠めるように飛んでくるトンボ。肌や目で、夏の終わりを感じるのと同時に秋の気配を感じました。洋服を着て、普通に過ごしているとあまり感じられないような季節の移ろいも、屋外のプールサイドで半裸で過ごしていると、動物っぽい感覚で感じ取ることができていたのかもしれません。若い頃と比べると、明らかに気温が上昇していて、夏の過ごし方も変わってきているのは確かです。現在通っている鍼灸の先生から、氷のうをおすすめされました。頭は冷やしておいた方がいいからだそう。猛暑のときもそうですが、特に頭を使う人は意図的に冷やした方がいいらしいです。なので愛用しています。でも、体や内臓はしっかりと温めることが大切だそうで、この夏は極力、温かいものを飲むようにしています。暑いとついつい冷たいものを飲みたくなりますが、最近、自分の体の声にじっくり耳を傾けると、温かいお茶やスープを求めていることがうかがえるのです。ちょっとした心がけと工夫ですが、こういった効率のよさを配慮した養生は、とても今の時代っぽいと思います。健やかで幸せに生きていくための細やかな秘策と言えます。猛暑はまだまだ続きそうですが、体調を崩さずに秋を迎えたいところです。

モノクロームの太陽。

Naoyaです。今日は二十四節気の12番目、大暑(たいしょ)です。暑さがピークを迎える時期と言われていて、二十四節気はここで前半が終了です。大暑は十二星座の獅子座の始まり。火の星座の季節が到来です。最近はオレンジのエッセンシャルオイルをよく使っています。オレンジのオイルは、獅子座の質を備えていると言われています。いいタイミングで無意識に欲していたみたいです。この投稿を書いている時点では、関東はまだ梅雨。昨年の今頃はすでに梅雨が明けていて、夏真っ盛りでしたが、今年はすっきりしない天気がずっと続いています。今週、関東は梅雨が明けるかもしれないというニュースをさっき目にしましたが、さてどうなるのでしょうか。九州などでは記録的な大雨で、大変な状況の方もいらっしゃるかと思います。ご無事をお祈りいたします。水槽の中を彷徨っているかのように、湿度がかなり高めな日々。オレンジの香りは、そんな鬱々とした気分を一瞬にして消し去って、モチベーションを高めてくれる華やかさがあります。数日前の黄昏時、電車に乗りながら外を眺めていたら、不思議な美しさの夕空でした。前日は雨だったものの、その日は晴れ。湿った街のビルの向こうの雲の感じや傾いている夕陽を見ているうちに、ふとSadeの「Cherish The Day」が聴きたくなりました。Spotifyで探したら、ライヴヴァージョンがあったのでそれをチョイス。この曲のPVはニューヨークのビルの屋上で、Sadeのヴォーカルのシャーデー・アデュがギターを弾いているモノクロの映像なのですが、合間合間で空が映し出されます。そのとき車窓から見ている空が、PVの中に出てくる空を彷彿とさせました。モノクロなので、実際にはどんな色の空なのかわからないですが、色を失った空気感や世界観が似ているように思えたのです。ライヴヴァージョンなので、観客の声が淡々としたあの楽曲に秘められた火種を煽って、燠火のような熱っぽさをジワジワと湛えているようにも思えました。帰宅してから、ライヴの映像を見つけたのですが、モノクロの摩天楼の映像をバックに、モノトーンの衣装を着たバンドメンバーたちに囲まれて、ひとり真っ赤なドレスを着て、艶かしく動いて歌うシャーデー・アデュ。静かに燃える焔そのものに思えました。彼女が山羊座なのは知っていましたが、かつてジャマイカでスピード違反をして、パトカーに追われてカーチェイスまがいなことをした末、警察に捕まったときに悪態をついたというのを聞いたことがあり、火の要素が影響してるんじゃないかと調べたら、月星座は見事に火の星座、牡羊座でした。この梅雨が明けたら、どんな夏になるのでしょうか。暑さは苦手だけど、早く梅雨が終わって欲しいところです。まぁ、梅雨が明けて夏になっても、海水浴に行くことも花火大会に行くことも、キャンプやバーベキューをすることもないのですが。夏めいた雰囲気がないまま迎えた夏の最後の節気。ジュニパーベリーの熱めのお茶を飲みながら、半ば夏をあきらめたような気分になっています。ちなみに、意味深なシャワーは浴びていません。

水のバランス。

Naoyaです。今日は二十四節気の11番目、小暑(しょうしょ)です。そろそろ梅雨が明けて、暑さが本格的になる頃と言われています。小暑もしくは大暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送ります。昨年の今頃の東京は梅雨が明けていましたが、今年はまだ梅雨の最中。ちょっと前、東海地方では水不足によってダムの貯水量がゼロになったことをニュースで見かけましたが、一方、鹿児島では大雨による災害が起きていて、とても心配していました。これから台風のシーズンが本格化しますが、大きな被害が出ないことを祈ります。小暑は7月7日頃とされていますが、今年の小暑はちょうど7月7日、七夕の日です。七夕は五節句のひとつです。牽牛星と職女星が一年に一度出会う伝説や、手芸や裁縫などが上達するように、牽牛星と職女星を祀って祈念するという、中国で生まれた風習が日本に伝わって広まったと言われています。七夕は本来、旧暦の7月7日、太陽暦でいうと8月初めの初秋の行事とされています。今年は8月7日が旧暦七夕に当たります。現在は太陽暦の7月7日に行うところがほとんどですが、この時期はほとんどが梅雨のため、星空が見られないことの方が多いです。星空といえば、熊野で見た星空はとにかく凄かったです。平衡感覚が狂いそうになるほど、ちょっと怖くなるくらい無数の星。都会だとなかなかお目にかかれない天の川も普通に現れます。日本の夏はとにかく湿度が高いです。今、気温はそれほど高くないですが、高い湿度によって体力を奪われる感じがしています。天気予報で98%なんていう湿度の数値を目の当たりにすると、体感以上の余計な蒸し暑さを感じます。僕は体の中の余計な水分を排出するために、トウモロコシやさくらんぼを食べたり、ジュニパーベリーのエッセンシャルオイルを使ったり、ジュニパーベリーの温かいハーブティーを飲んでます。ジュニパーベリーとは、セイヨウネズという低木の針葉樹に実る果実を乾燥させたスパイス。お酒のジンの香りづけに使われるものです。青色のワックス質に覆われた紫っぽい黒い実。浄化力が強く、水分バランスを整えてくれるので、むくみ解消やリンパの流れを整えたり、動脈硬化、腎の働きに効果があるのだとか。特にその効果を求めて使い始めたわけではなくて、何となく気になってインスピレーションで使い始めて、効能を調べてみたら今のシーズンにピッタリのものでした。そこにオレンジのオイルも併せて使ってモチベーションをアップさせたりしています。ちなみにオレンジは獅子座の性質のオイルなのだそう。獅子座の質をちょっと先取りという感じでしょうか。あとはヒノキのオイルを使ってリラックスしてみたり。ヒノキは湿度に強いと言われてます。これもまさに今のシーズンにピッタリ。昨年末のベチバーのオイルのときみたいにひらめきや直感で選ぶと、ちゃんと必要なものが手元にやって来るんだなと思ってます。降り注ぐ雨の水、命を支えるダムの水、そして自分の体内を流れる水。少なすぎてもダメだし、多すぎてもダメ。いろんな水を目の当たりにしながら、ここでもバランスの大切さを痛感しています。ちょっとした工夫で蒸し暑さを解消して、涼しく過ごしてみてください。

夏至の夜は魔法めいて。

Naoyaです。今日は二十四節気の10番目、夏至です。夏のど真ん中の節気。夏至は北半球では日の出から日の入りまでが一年で一番長く、太陽は一番高く昇り、陽のエネルギーがもっとも高まる日です。日本では梅雨のシーズンの真っ最中なので、あまりそういう実感が湧かないかもしれません。今日から蟹座へ突入です。これから気温が上がって、さらに夏らしくなっていくわけですが、今日を境にして、明日からは日の出から日の入りの時間がどんどん短くなっていきます。物語というものはクライマックスを迎えると、そこからエンディングへと向かっていくとはわかっているものの、ちょっと寂しい気持ちです。ヨーロッパなどでは、夏至をとてもマジカルで神秘的な現象として捉えていて、妖精たちが騒ぎ出すとも言われています。そして、夏至にまつわる迷信みたいなものもいろいろあります。たとえば、夏至前夜に摘み取った薬草には特別な効果が宿っているとか、7種の草花を枕元に置いて寝ると幸せになるとか、無花果(イチジク)の木の下に自分の持ちものを置くと、将来の夫の夢を見るとか、夏至の夜に咲いた美しいシダの赤い花を見ると、この世で最高の幸せが得られるとか。ちょっと魔法めいた迷信が多いです。夏至を祝うお祭りがヨーロッパではたくさん執り行われますが、日本ではさほど盛り上がりません。夏至が梅雨の真っ最中で、陽のエネルギーの高まりを感じにくいことも理由でしょうが、日本は冬でも日照時間が北欧ほど短くないことが理由なのではないでしょうか。つまり、常に身近に太陽が存在して、太陽の有り難みを感じやすいということです。国民の総氏神として祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)という太陽神、「日出ずる国」という呼び名、そして、日の出の太陽を象徴した国旗ということを考えると、納得できると思います。日本という国には、マジカルで神秘的なものが日常茶飯事に当たり前のように、オープンな状態で存在しているのかもしれません。日本では夏至が過ぎた6月末に「夏越の祓(なごしのはらえ)」という伝統行事があります。半年に一度の厄落としとして、12月末の「年越の祓」と対になっているもので、千萱(ちがや)という草で編んだ大きな輪をくぐって厄落としをする「茅の輪くぐり」をして、また新しい半年を過ごすために心身の穢れを祓って清めます。ネイティヴ・アメリカンの間で神聖な植物として、浄化に使われるスウィートグラスというものがあるのですが、これは千萱と同じ種類の植物です。スウィートグラスは燃やすと甘い香りがして、ホワイトセージでネガティヴなエネルギーを浄化した後、スウィートグラスでポジティヴなエネルギーを呼び込む感じで使います。うちにも三つ編みになったスウィートグラスがあって、ホワイトセージと組み合わせて焚いていますが、8の字を描きながらくぐる「茅の輪くぐり」にしても、ホワイトセージやスウィートグラスを焚くことにしても、どこか魔法の儀式やおまじないっぽいなといつも思ってます。日本の千萱もネイティヴ・アメリカンのスウィートグラスも、清めるために使われていますが、まったく違う場所で同じ種類の植物を、同じような用途で使うという面白さ。もしかしたらルーツは同じだったりするのかも。真相はわかりませんが。遥か昔、古代人は天空の下で自分がどこにいるのかを確認する際、新たに命が再生していく冬至、陽のエネルギーがピークを迎える夏至、そしてその通過点である春分、立秋というそれぞれの季節の頂点を大切な目印としてきました。季節の移ろいを体感して意識することは、自分のいるところを確認する作業だと思っています。いつでも季節の節目に立ち返って自分の場所を確認することで、向かうべき未来への糸口がつかめるのだと思います。

夏の水鏡。

Naoyaです。今日は二十四節気の9番目、芒種(ぼうしゅ)です。芒とは、穀物の種子の先にある毛のことで、芒種は穀物を植えるという意味です。梅雨が近づいてくる今の時期は、田植えのシーズンです。旧暦だとこれからちょうど皐月(旧暦5月)を迎えるところなのですが、耕作や田の神を意味する古語の「さ」から、稲作の月ということで「さつき」になったとか、早苗を植える「早苗月」が略されて「さつき」になったという説があります。皐月の皐という字には「神に捧げる稲」という意味があります。確かにたわわに実った稲のような形をした字です。昨年5月、熊野を旅したとき、果無(はてなし)集落という場所を訪れました。十津川村という日本一の大きさの村にある山の上の集落。日本のマチュピチュみたい…なんて言ったら大袈裟かもしれませんが、まさに生活圏が高い場所にあるああいう感じ。ちなみに十津川村は奈良県にあって、東京23区と同じくらいの大きさらしいです。十津川村に宿泊した翌朝、小さな登山口から入山して、熊野古道を歩いて果無集落を目指しました。延々と続く山道や傾斜がとにかくきつくて、こんな場所に集落があるんだろうかという感じでしたが、山の上の方に辿り着くと鹿除けのための小さな門があり、そこを入ったところに集落がありました。熊野古道は幾つかのルートがありますが、この集落は小辺路(こへち)というルート沿いにあって…というか、集落の真ん中を小辺路が貫いていると言った方が合っているかも。小辺路沿いにある平屋の民家の縁側は、オープンスペースのような感じで開放されていて、住人が旅をする人たちをもてなしてくれるらしいです。果無集落には、ちょうど田植えを終えたばかりの田んぼがありました。田植えを終えたばかりの田んぼには、初々しさと清々しさを感じます。等間隔で苗が植えられて、まったく揺れずにピーンと張った田んぼの水面は鏡そのもの。高い場所にあるからこそ、邪魔なものや遮るものが周りに一切なく、田んぼの水鏡は、青い空と白い雲だけを映してました。水鏡越しに空や雲を眺める時間。天が地になり、地が天になるかのような不思議な感覚。時間という概念を忘れてしまいそうになりました。関東はこれから梅雨に入っていきますが、現在、東海地方では深刻な水不足で、貯水量がゼロになって渇水しているダムもあるそうです。干上がってひび割れを起こし、一部の稲が枯れてしまった田んぼもあるというニュースも目にしました。このままの状況だと、美しい水鏡を目にすることだけでなく、おいしいお米を食べることもできなくなってしまいます。雨の降りすぎも自然災害に繋がるので困りますが、雨が降らないのもかなり困ります。でも、こればかりは人間の手ではどうにもできないところ。恵みの雨が降ってくれることを天に祈るばかりです。

新緑の孤独。

Naoyaです。今日は二十四節気の8番目、小満(しょうまん)です。さらに陽気がよくなってきて、万物が成長して天地に満ち始める頃という意味。新緑が美しい時期になりました。小満という名の由来には、秋に蒔いた穀物の種が穂をつけ始めるのを見て、ホッとひと安心して、ちょっと気持ちが満ち足りるという説もあるらしいです。小満は十二星座の双子座の始まりでもあります。小満の時期の俳句の季語には、青嵐や万緑、若楓、葉桜、柿若葉など、新緑に関連したものがとても多いのですが、鮮やかな緑は目で見ることはもちろん、風でそよぐ木々の葉音を耳で聞き、その風を肌で感じ、若々しい香りを胸いっぱい吸い込んで、五感すべてで楽しむことができます。連休明けから京都にしばらく滞在してきました。桜や紅葉の時期の京都も美しいのですが、僕個人としては今のこの時期の京都が一年で一番好きで、ここ何年かは必ず新緑の季節に滞在しています。暑くもなく、寒くもない。そして、桜や紅葉、お祭りシーズンほど混雑していない。自分の中でのベストシーズンです。今回は特別な場所には出向かず、友達や知人にも率先して会わず、ひとり自転車で鴨川沿いや街中を走ったり、お世話になっているセラピストさんの元で体のメンテナンスをしてもらったり、朝の鴨川でちょっとトレーニングをしたり、ぼんやりと好きな音楽を聴いたりして、旅行というより暮らすような過ごし方をしていました。読まないだろうと思いつつ、本を2冊持参していましたが、やはりスーツケースから出すことはありませんでした。今回の京都ではある意味、孤独な時間を過ごしました。日本人は孤独というものをネガティヴに捉えがちですが、成長や「満ちる」というものは、外の世界や誰かがもたらしてくれるものではなく、孤独の中から生み出されていくものだと思っています。それはまるで、内なるパワーで自ら新緑を増やして成長していく樹木のような感じです。昨年末の京都で、今年のテーマとして浮き彫りになった体づくりやメンテナンス。肉体は魂を入れる器であり、魂を乗せる乗り物だと前から思っていますが、その器や乗り物を強靭に整え続けておかなければ、スピリチュアルな領域のことなんて扱えないし、感覚的なものが研ぎ澄まされることもないと痛感しています。何とかごまかしたりやり繰りしつつ、扱い続けることができていても、あるとき確実に破綻してしまうものです。本を読んで知識を得ることはとても素晴らしいですが、今の自分がさらに成長して満ち足りるためには、体との対話の方が必要だと思っています。新しい知識を詰め込んだり、頭で考えて判断するのではなく、そのとき自分の肉体は何をどう感じて、何を語りかけてくれるのかを丁寧にヒアリングするのです。あるいは、これまで得てきた知識を体に落とし込んで、自分のエッセンスへと変換していく作業です。「あなたの学びは本を読むことじゃありません」4年前の秋、清明神社の宮司さんからそう断言されたのですが、お世話になっているセラピストさんからも、違う言葉で同じことを今回言われました。やることをしっかりやっていると、点と点が勝手に繋がっていくんだなぁと実感しました。外の世界に何か新しいものを求めるより、肉体という自分の小宇宙を内観する孤独な時間を味わって過ごす今日この頃です。

タイムトンネルと夏への扉。

Naoyaです。今日は二十四節気の7番目、立夏。ゴールデンウィーク中は肌寒い日が多く、暖かい日が待ち遠しかったのですが、5月2日の八十八夜を経て、いよいよ暦の上ではここから夏です。八十八夜とは立春から数えて88日目のことを示し、八十八夜の頃から霜が降りなくなり、不安定な春の気候も終わって夏になっていきます。薫風とは「くんぷう」と読んで、夏の到来を告げる風のことを意味します。ちなみに、春の到来を告げる風は東風(こち)、秋の到来の風は秋風、冬の到来の風は凩(こがらし)と言います。薫風は南から吹いてくる風です。薫風には「こういう香り」というものが具体的にあるわけではありませんが、鮮やかな新緑をたおやかに揺らす爽やかな風のイメージが思い浮かびます。薫風は嗅覚で感じる風というよりも、視覚や肌感でも香りを感じるように思えます。青嵐(あおあらし)なんていう風流な言葉もあります。ちょうど初夏の頃、若葉や青葉を揺らして吹き渡る風のことです。昨日5月5日は端午の節句でした。昨年は夏至と端午の節句が同じ5月5日でしたが、今年は一日ずれています。旧暦時代には中国から伝わった五節句というものものがあって、端午の節句はそのひとつです。他は1月7日の人日(じんじつ)の節句、3月3日の上巳(じょうし)の節句、7月7日の七夕の節句、そして9月9日の重陽(ちょうよう)の節句です。五節句にはそれぞれ、所縁のある植物と邪気祓いの食べものがあります。昔ながらの風習がそのまま残っている節句と、形を変えて残っている節句、そしてほとんど残っていない節句がありますが、端午の節句はほぼそのまま残っていて、鯉のぼりを立てて、ちまきや柏餅を食べて、菖蒲湯に浸かるのが習わしです。柏の木には神が宿るとされていて、新芽が出ないと古い葉が落ちないため、子どもが生まれるまで親は死なないと意味づけされて、子孫繁栄の願いを込めて柏餅を食べるという説があるそうです。旧暦の5月は「毒月」と言われていたそうで、「五月忌み」ということで邪気を祓うために菖蒲の葉や蓬を軒に挿していたそうです。菖蒲の香りが厄を祓うと信じられて、菖蒲湯に入る風習となりましたが、菖蒲の成分には打ち身や腰痛、肩こりなどにも効能があるそうです。そして、菖蒲を尚武(武を尊ぶという意味)に引っかけて、いつしか端午の節句は男の子をお祝いする「こどもの日」となりました。今年のゴールデンウィークは、これまでにない特別なものとなっています。平成から令和へ変わる5月1日を中心に、今年だけ特別に祝日と制定された日もあるため、10連休という人も多いのではないでしょうか。月や日にち、曜日の感覚がどんどん麻痺しながら、終わりと始まりが混ざり合うような、時代の感覚がわからなくなりそうな、今、どこを歩いているのかという自覚が薄れるような、不思議なタイムトンネルを潜っているかのように思えます。令和という元号の「令」という字やラ行の響きからは新しさを感じさせ、「和」は昭和の和だったりもするわけで。伝統を大切に継承しつつ、新しいものを取り入れていくような匂いを感じ取りました。そんなタイムトンネルを抜けた先には、また「いつも」の日常がやって来ます。でもそれは前と同じ「いつも」が戻って来るわけではなく、令和という新しい時代から生まれる「いつも」です。そしてその日常の中に、夏へと続く扉が開いています。山下達郎さんの「夏への扉」が聴きたくなりました。光のトーンやニュアンス、肌に触れる粒子のタッチが、前よりだいぶ夏めいてきていることへの喜びを味わいつつ。

惑わす星。

Naoyaです。今日は二十四節気の6番目、穀雨(こくう)です。穀雨には「雨が降って百穀を潤す」という意味があり、稲を初めとしたさまざまな穀物の成長を促す雨が降ると言われる時期です。穀雨は十二星座の牡牛座の始まりでもあります。今はちょうど天王星が牡牛座期になってからひと月が過ぎたところ。木星は射手座で逆行していて、この後4/25からは冥王星が山羊座で逆行を開始して、4/30からは土星が山羊座で逆行します。そこらへんに関する詳しいことは、Maribrengaëlさんが何かしらで書いたり、YouTubeで話したりしてくれると思うのでおまかせするとします。「惑星」という名称は天文学者たちを惑わす様子や、天球上の一点に留まらず位置を変える様子から「惑わす星」「惑う星」ということで名づけられたのだそうです。星の動きで惑わされるといって、僕が真っ先に思い浮かぶのが水星逆行です。水星逆行になると実体のつかめない不安感に惑わされる人は意外といるみたいです。もちろん星の作用というものもあるとは思いますが、星たちは意図的に人を惑わしているわけではないし、星たちも惑って動いているわけでもなく、我々が勝手に惑って反応していたり、星が惑っているように感じていたりするだけのことです。星の性質や動きに対して意味づけをして、そこに自分の心情を当てはめようとしていると言ってもいいかもしれません。科学的なものと心理的なものか共存しているのが宇宙というものなのでしょう。昨年、京都の清明神社の宮司さんとお話ししたとき、2019年の僕は星の配置的に流れが停滞するそうで、準備期間に当てた方がいいと言われていました。寒川神社で手に入れた「さがみ暦」にも同じことが記されていました。実はマナカードでリーディングしたときも、「ここでひと区切り。アウトプットよりインプットを」という結果が出ていました。でも、不安になったり焦ったりすることはありません。これまで続けてきていることは継続しつつ、そういう大きく制限のかかった時期を、トラブルや事故がなく無事にやり過ごす方に気持ちを切り替えて過ごしています。今年のテーマとして掲げた体のケアということは、そこに繋がっているのかもしれません。星の動きを気に留めて行動するのはいいですが、あまりそれを過剰に気にしすぎて、振り回されない方がいいでしょう。自分にとって思わしくない星の配置や、制限をかけてくるような星の動きになったとき、その状況下で効率よく活動するにはどうしたらいいのか。いろんな可能性を考えてみてください。自分に合ったベストなやり方が必ずあるはずです。満開だった東京の桜の花。今年は寒さのせいもあって、花がかなり長持ちしていたようですが、気づけば薄紅の花びらは散って、無数のガーネット色の萼(がく)を少しずつ覆い隠していくように葉桜の緑がどんどん茂っています。これからは春の雨で潤いながら、さらに緑が美しくなっていきます。何気に雨が多くなっていく時期ですが、穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。立春から数えて88日目が八十八夜で、この頃から霜が降りなくなり、不安定な気候の春が終わって暦の上では夏になるのです。暖かくなったかと思ったら寒くなり、また急に暖かくなる。そして、雨が降ったりもする。春の気候に心も体も不安定になりやすいかと思います。季節のそんなの移ろいもこの地球という星が、まさに我々の心や体を惑わせることのように感じるかもしれません。しっかりと体調管理をしていれば、惑わされることはないかと思います。きちんと管理して、安定した心と体をキープしましょう。

記憶の中で息づく庭。

Naoyaです。今日は二十四節気の5番目、清明です。そして、牡羊座の新月でもあります。清明とは、清々しく明るさに満ち溢れたときという意味ですが、光は春らしくなってきたものの、気温はまだかなり寒く冷え込んでいます。この「森羅万象の聲」は基本的に、新月満月のタイミングでMaribrengaëlさんが、二十四節気のタイミングで僕が投稿しています。ここしばくは新月満月と二十四節気が重なるタイミングが多く、重なるときは僕が1日前倒しで更新していましたが、今回はMaribrengaëlさんが連続して投稿したここから更新の順番が変わり、新月満月と二十四節気の間隔もどんどんずれて差が開いていきます。ふたりきりで始めたこの小さなメディア。まるでふたつの個性的な惑星がそれぞれ軌道を描きながらどんどん近づき、クロスする時期を経て、そしてまた離れていくような感じにも似ています。今回の僕の投稿は、超私的な話題です。写真はスノーフレークという花。春になると父方の祖母の家の庭に咲いていた花なのですが、子どもの頃、毎年これを見ると春になったことを感じていました。スノードロップにも似ているんですが、花びらの縁にポチポチとある緑色の模様が特徴的。ちょうど今くらいの時期に咲いていた花です。先日新しい元号が発表されて、新たな時代が始まろうとしています。妙なお祭り騒ぎやフィーヴァーしている世の中を傍観しながら、ゆっくりと春が移ろっていくのを静かに味わっているのですが、近所の道端のちょっとしたスペースに植えられているスノーフレークを見かけて、ふと祖母の庭を思い出しました。父方の祖母の家は立派な洋風の庭が整えられていて、庭のど真ん中には巨大な月桂樹の木があり、その周りには桜や椿の木、花壇にはチューリップやパンジー、ヒヤシンス、クロッカス、そしてこのスノーフレークなどが花を咲かせていました。祖母がカレーをつくるときは必ず月桂樹の葉を摘み取り、鍋に入れて一緒に煮ていました。月の輝く夜、門の脇で揺れていた背の高い月見草の鮮やかな黄色は記憶に残っているし、祖母にねだって買ってもらった貝殻草は、花びらがドライフラワーのようにカラッカラに乾いていて、その触った指の感触やカサカサした音も鮮明に覚えています。他にもいろんな花が庭に植えられていたと思うのですが、だんだん記憶は薄れてしまって、何が咲いていたのかをすべて明確に思い出せません。今は祖母も祖父も親戚も、そして父もこの世にはいなくなってしまったし、何よりあの素敵な庭は土地の売却によってもう存在していません。あの庭のことを頻繁に思い出すのは、きっと僕くらいしかいないんじゃないかもしれません。今でもあの庭は、僕の記憶の中に息づいています。東京、横浜は今ちょうど桜が満開。今年は冷え込んでいるので花は長持ちしていますが、ここで気温がグッと上昇すると、急き立てられるように花びらは一気に散ってしまうでしょう。時間の経過というもの自体は目に見えないけれど、あの紙吹雪のように薄紅が散りゆくさまは、時間の経過を可視化したようにも思えます。記憶の庭に立ち止まって懐かしんでいても、今年の桜の花は終焉へと向かい、新しい時代へのカウントダウンは刻々と進んでいます。春は一年の中で、変わらないものと変わりゆくものが、もっともたくさん交差する時なのかもしれない。この春はそんなことを感じています。

不安定なときこそ心に余裕を。

Naoyaです。明日は二十四節気の4番目、春分です。春の中心となる節気。秋分と同様に、昼と夜の長さが同じになる日です。春のお彼岸の中日に当たります。ここから夏至に向けて、昼の時間がどんどん長くなっていきます。春分は十二星座の最初の星座、牡羊座の始まりでもあります。魚座のシーズンが終わり、牡羊座を迎える明日からまた新たに宇宙の一年のサイクルがスタートします。西洋占星術では春分は元旦に当たるそうで、春分は一年の中でとても大切な節目です。春めいてくると、安定した暖かい陽気や桜の開花を待ちわびる人も多いですが、待ちわびるという感覚は日本人ならではの感覚だと思います。明確に決まった日にやって来るかどうかわからないものを、いつかいつかと宛もなく気長に待つ感覚。待ちわびたものがやって来てピークを過ぎる頃から、今度は名残惜しむ時間へと変わっていきます。いつ去ってしまうのか、終わってしまうのか。その明確なタイミングがわからないまま、ずっとそのままであって欲しいと願い続けるのです。もちろん、その願いは叶うことなく、遅かれ早かれ終わりを迎えるわけで。そういう感覚にこそ、日本人らしい心の動きを感じます。桜は我々日本人の待ちわびる感覚や名残惜しむ感覚を、非常に絶妙な時間配分を使ってくすぐってくれる不思議な存在の花です。日本の四季でさまざまな花が咲いて鑑賞されていますが、これほどまでに待ちわびることと名残惜しむことを、フルに活用して愛でる花は桜くらいではないかと思います。最近は時短や的確さを求める人がとても多く、桜の開花予想をインターネットで調べて花見の日程を決める…なんていうのも当たり前のようになっています。時間に追われた忙しい生活だからこそ、なるべく時間を無駄にしたくない。そう思うと、時短や的確さを求めるのも当然です。でも、そういったものには風情や侘び寂びがなく、やはり現代に生きる人の多くは心の余裕が欠落しているように思えるのです。心の振り幅がどんどん狭まって、感受性が鈍っていると言ってもいいかもしれません。暦や時刻のようにきっちりと正確に移り変わっていくもの。気温や天候、あるいは桜の花の開花のように人間の支配下ではなく、大いなる意思の力で曖昧に移り変わっていくもの。そして変わらないもの。変化の振り幅が激しく、不安定な要素や不確定なことが多い春だからこそ、いろんな発見があるかと思います。あえて不安定さの中にしっかりと身を投じてみることで、自分にとっての安定とは何か、自分が求める安定はどういうものかがクリアに見えてくるでしょう。仕事に追われているときは仕方がないかもしれませんが、オフの時間は時短や的確さを求めることを手放して、余裕を持つようにしてみてください。そして、目に見えるものだけでなく、目に見えない春ならではの今の空気感、移ろいを味わってみてください。心に余裕がないと、大切なものや必要なものすら見過ごしてしまいます。

朝のように目覚める季節。

Naoyaです。今日は二十四節気の3番目、啓蟄(けいちつ)です。冬眠していた虫たちが目を覚まして、土から出てくる頃です。暖かい日もだんだん増えてきましたが、いきなり気温が下がって寒い日もあって、かと思うとまた暖かい日になったりもして。今の時期ならではの気候の変化を繰り返して、本格的な春になっていきます。よくその気候のことを「三寒四温」という言い方で表現するのを目にしたり、耳にしたりしますが、実は「三寒四温」というのは間違いだそうで、「三寒四温」とは本来、中国北東部や朝鮮半島での冬の気候を示す言葉なのだそうです。今の時期の日本の気候を表現する春の言葉ではないそうです。春は季節のサイクルにおける始まり。つまり、朝のようなもの。人間は冬眠しませんが、でも、冬の間の体や心の機能は暖かい時期と比べると、鈍って停滞している「冬仕様」なのは確かです。春を迎えて徐々に暖かくなってくると、人間は頭で考えて判断して、アクティブに行動したくなりますが、「冬仕様」だった心身をいきなり暖かい時期と同じように稼動させるのは、やはり無理なわけで。心身がびっくりして、不調になることも少なくないかと思います。最近、カードリーディングをすると「養生しましょう」というメッセージがちょくちょく出ていたのですが、まさに今のような不安定な時期は、心身の養生が必要だなと思います。要するに、不安定になりがちな心身のバランスを整えて、本格的な春に向けて準備をするのです。朝、目覚めたら活動を始める前に、しっかりと朝ごはんを摂るようなものです。あるいは、スポーツをする前の準備体操、ストレッチのようなウォーミングアップのようなものです。春の山菜や野菜にはほろ苦いものが多いですが、その苦味は冬の間に蓄積した体内の毒素や老廃物を排出する作用があるとも言われています。うちではよく、菜の花を酒蒸し焼きにして食べるのですが、菜の花もそのひとつ。旬の食材というものは理にかなっていて、その時期に食べることにもちゃんと理由や意味があります。朝が来たのにまだ起きたくないと言って、ベッドの中でしばらくゴネるような経験は誰もがしていると思います。頭がスッキリせずに寝ぼけた状態で「あとちょっとだけ寝よう」みたいな感じで、しばらくゴロゴロしてから起きる。そういうゴロゴロする時間も、眠っていた体を徐々に慣らしていくために必要なプロセスだと思っています。季節のサイクルにおける朝のような春が巡ってきた今は、まさにベッドの中でゴロゴロして整えるような時期です。湯船で体を温めること、温かい飲みものを飲むこと、きちんと栄養を摂ること、ストレッチで体を動かすこと、深呼吸をすること、そして、充分に睡眠を取ること。忙しく過ごしていると雑になりがちなことを、丁寧にやることが養生のポイントだと思います。春へと目覚める準備を整えてみてください。

素足の人魚。

Naoyaです。今日は二十四節気の2番目、雨水(うすい)です。冬の間の凍てついた氷や雪が解けて流れ始める頃。閉ざされた季節から開かれた季節へと流動的に移り変わるとき。雨水の日に雛人形を飾ると、良縁に恵まれると言われています。暖かくなって雪が雨へと変わっていく時期。解けた氷や雪は水となり、大地を潤します。大地が潤うことによって草木は芽吹き、動物たちも活動を始めます。水というものが、まさに生命を支える存在なんだなぁと意識させられます。今日から魚座期が始まりました。牡羊座から始まった十二星座も魚座で終わりとなります。そしてまた次の牡羊座から、新たな十二星座のサイクルが始まります。魚座は水のエレメントの星座。つまり、二十四節気も十二星座も水にまつわるというわけです。十二星座にはそれぞれに人間の身体の部位が割り振られていますが、魚座は足。魚には足がないのに足というのは興味深いです。一目惚れした人間界の王子に会いに行くために、声と引き換えに魔女から足を手に入れた「人魚姫」の童話を思い出しました。昔、子どもの頃に読んだ「人魚姫」の絵本では、人魚姫が足を手に入れた直後の不慣れな二足歩行の様子が描かれていましたが、確か、針の上を歩くような痛さを我慢しながら…みたいな描写だった気がします。地上の人魚姫を心配した姉たちは、美しい髪と引き換えに人魚姫に会いに行くという描写もあったのですが、かなり乱雑に短く刈り取られたような髪型で描かれていました。昔、読んでいた童話は、幻想的でロマンティックな部分とグロテスクでショッキングな部分が背中合わせで共存していて、それが子供心ながらのリアリティみたいなものになって、感性を育んでくれたように思えます。今の童話はグロテスクでショッキングな要素が排除されていて、可愛さを強調しているものが多いという話を聞いたことがありますが、僕にはその方がかえってグロテスクさを感じてしまいます。報われない恋の挙句に海へと身を投げて、海の泡となってしまうハッピーエンドじゃない物語の結末こそが、人魚姫だと思っています。魚座は夢想的で、感情に敏感な星座と言われています。自分の感情はもちろん、他人の感情の動きに繊細に寄り添います。マナカードには感情を意味するナル(Nalu)という波のカードがありますが、まさに感情を揺れる波として表現したものです。僕の中での魚座は、揺れる感情の波間を柔軟にしなやかに泳いでいくようなイメージがあります。空想と現実の境目がぼんやりと曖昧であることが多いと言われる魚座。そこまで感情に敏感ではないドライで杓子定規な性格の星座たちに囲まれた現実社会では、人魚姫が初めて陸を素足で歩いたときくらいに不安定で、ぎこちなさを感じることが多いかもしれません。水のようにスムーズな流れを遮られてしまい、傷つくこともあるかもしれません。逆に、現実的でドライな性格の人にとっての魚座はなかなか理解し難く、魚座との関係が課題やレッスンのようなものに思えることもあるかもしれません。水の季節だからこそ、滞っているものをいかにスムーズに流動的にしていくかを考えてみるのもいいでしょう。潤滑なコミュニケーションを成立させるためには、自分の性格と相手の性格の傾向をつかんでおくのもいいかと思います。十二星座は、それを紐解くためのきっかけや目安として役立つものだと思っています。